創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

波田地グループの「全体フレーム」とやらが「机上の空論」なわけ

波田地グループの番頭格・金原(きんばら)明彦が「それを過ぎたら、新しい創価学会をつくるしかない」と言い切っていた「2016年の11・18」は、何ごともなく過ぎ去りました。

以来、今日に至る2年半余は、金原が自身の無為無策ぶりを晒し続ける日々だったといえるでしょう。

本稿では、金原をはじめとする波田地グループの面々が、いかに目くらましの時間稼ぎに明け暮れてきたかをたどります。

「中途半端」「消化不良」を招いた張本人

2018年秋、金原はグループメンバーが置かれている現況を慮って言います。

「今、中途半端なところにあるから、なかなか皆さんも、消化不良を起こしているかもしれないんですけど」

「中途半端」「消化不良」──正鵠を射た表現です。

しかし、そのあとがいけません。

「やっぱり、人を救うっていう作業しか、ないわけですよ。広宣流布って言ったって。

そうすると、俺なんか、よく言ってるのは、『困ってる人のところに行こうよ』『悩んでる人のところ見つけて、相談に行こうよ』と。

これさえやってりゃ、ストレスはあんまりないんですよ。実は」

「中途半端」も、「消化不良」も、そもそも誰が招いた結果かといえば、その責任が金原にあることは明白です。

にもかかわらず、「これさえやってりゃ、ストレスはあんまりないんですよ。実は」などと、よくもぬけぬけと言えたものです。

前稿に記した通り、自分たちが何者なのかすら説明できず、ゴールもなければ、展望もない波田地グループにとって、何をもって「人を救う」ことだと定義できるのでしょうか。

金原は、こうも言い添えました。

「全体がどうのこうの、あんまり目に入ってこないので」

要するに、全体的な方針なり、戦略なり、目的観なりが、ないだけです。

総論なき各論──これこそ「烏合の衆」と言うべきでしょう。

「名古屋モデル」のなれの果て

金原が言うところの「膝詰めの戦い」は、グループが描く「全体フレーム」とやらにおいては、3種類の座談会に分類されるのだそうです。

「座談会A」「膝詰め」

「座談会B」「プチオープン型」

「座談会C」「フルオープン型」

このうち特に、「座談会A=膝詰め」と「座談会C=フルオープン型」は、その「重要度」「優先度」「最高」と位置づけられています。

ところが、その最重要であるはずの取り組みは、どのような現状にあるでしょうか。

たとえば「座談会A」は、「今、あの名古屋でされているような、本当に小単位の一対一の対話とか、まあ、地域の一人一人の対話をして掘り起こしていくっていう運動」とメンバーが説明するように、名古屋で行われているものが「名古屋モデル」と称され、その成功事例であるかのごとく扱われています。

しかし現在、その実態はといえば、陰々滅々たる閉塞感に覆われているようです。

毎度、自分たちが何をやっていくべきか議論しようとしても、参加メンバーから積極的・前向きな意見は寂として出ず、口々に“盛り上がらない”“集まって話しているだけで十分”などと、愚癡をこぼし合っているばかりだといいます。

これが「名古屋モデル」のなれの果てです。

「社団法人設立」も今は昔

また、「社団法人 A案」とされた「池田研究会」なるものも、「社団法人 B案」とされた「社会派巻き込み型」なるものも、「重要度:高」と位置づけられながら、いまだ一向に進みません(詳しくはこちら)

さらに、立憲民主党有田芳生参議院議員との連携も目論んでいましたが、そうした動きも、とんと聞こえてはきません(詳しくはこちら)

「全体フレーム」などと賢しらに意気込んでみたところで、趣味・嗜好の異なる面々が、無目的なまま野合しているのですから、何一つ結実しないまま机上の空論に終わるのは当然の結末でしょう。

しかし、おそらく波田地も、金原も、内心、それでよいと思っているはず。

なぜなら、あれもこれも単なる「目くらましの時間稼ぎ」にすぎないからです。