創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

金原構想の頓挫でジリ貧が露わとなった波田地グループの2019年夏

7月、波田地グループにとって夏の恒例となっている集会が開催されました。

聞くところによれば、参加者は70余人。そのうち10人程度が子どものため、実質は約60人だったといいます。

この数を多いと見るか少ないと見るかは人それぞれかと思いますが、少なくとも波田地グループの番頭格・金原(きんばら)明彦にとってみれば、見るも無惨な大敗だったのは間違いありません。

「結集目標は200人」のはずが

ちょうど1年前、2018年の夏、金原は集会で鼻息荒く訴えました。

「この一年を、もう一度、大事にしながら、私自身も大事にしながら、大結集をしていきたいなと思ってますんで。

皆さん、目標をつくって。

組織じゃないので、目標とか、一人何人とか言いませんので。

ぜひ、目標を自分なりにつくってですね。

折伏の戦いだと思うんですよ、これもね。

一人の人を、理解者をつくっていくっていうことはね、ある意味では、新しい人に下種をするよりも大変だとは思うんですけど、そういう言論の戦いをやって、そして、理解者を、本当に理解者をつくって、また集って、悪い連中をガタガタ言わせるようなね、戦いをしていきたいと思います。

ぜひ来年も、よろしくお願いします」

そして、金原が掲げた結集目標は“日帰りも含めて200人”でした。

ところが、ふたを開けてみれば、子どもたちをカウントしたとしても、目標の3分の1という有り様。ジリ貧状態に直面している波田地グループの実情を、まざまざと晒す羽目となったのです。

金原の独りよがり

言い出しっぺなりに、金原が今回の集会に向けて、一生懸命、結集にあたったのは確かでしょう。

集会では、金原に誘われて来た初参加者が、複数名いたようです。

とはいえ、金原が一人、気を吐いたのみで、折伏の戦いと同じなのだから、一人一人が自分なりに目標を立てて理解者を増やし、集会に結集させよう”という金原の呼びかけは、笛吹けども踊らず、まったくのかけ声だおれに終わりました。

そもそもメンバーの間では、金原が掲げた結集目標に対して、当初から“絶対無理”“60人がギリギリ”といった陰口が叩かれていたと言いますから、元々、金原の独りよがりにすぎなかったというべきでしょう。

「鎌田や富士宮はアウト」

金原は、この1年、宮川日護(雄法)との連携を模索し、“創価学会元職員”を売りものにする小平秀一、滝川清志、野口裕介らの支持者たちを抱き込もうと図り、果ては遠くセルビアにまで軒先を広げました。

ところが、ことごとく失敗に終わり、結果、この体たらくです。

しかも、この結末も、金原自身が招いたもの(詳しくはこちら)。メンバーからは、すでに集会の前段階から、“今回は富士宮グループが抜けるから”等々、恨み節が聞こえていたそうです。

思えば集会前、グループの中心メンバーの一人である石黒広信は、“夏の集会には広く声をかけていく”という方向性に対して、あえてセルビア交歓会での騒動に触れながら“広く糾合していこうという方向性の見直しがあった”(詳しくはこちら)と指摘した上で、しかし、「広く声をかけていくっていうのであるならば、そういう方向でやっていきたい」と表明しました。

これに対して金原は、条件反射のように反論しました。

「ダメだよ。例えば、鎌田さんとか、富士宮とか、一方的にやる人はアウト。そういうのは呼びません。“来たい”ってきても断りますから」

慮るに石黒は、「方向性の見直し」に対する、さらなる見直しを暗に促したかったのではないでしょうか。

あるいは、そもそも“夏の集会には広く声をかけていく”という方向性そのものに対して、疑義を呈したのか。

しかしながら、いずれにせよ金原の一存によって、大惨敗への道筋は決せられてしまったのです。

醜い縄張り争い

所詮、「脱会者づくり」にあくせくするしか能がなく、それすらも、往時であれば100人以上いたグループの集会参加者は今や半数近くにまで落ち込み、猫も杓子もの数合わせに血道を上げざるを得なくなってしまいました。

一方で、他のグループと手を取り合うこともままならず、“あいつは嫌だ”“こいつも嫌だ”で、敵は増えるばかりです。

波田地や金原は、何かといえば「広宣流布のため」などと大言壮語しているようですが、では果たして、近年、学会に悪口雑言を投げつける波田地や金原によって、信心の“しの字”も、学会の“がの字”も知らないような人が、新たに入信したというような事例が、一人でもいたのでしょうか。

結局、自分の思い通りにならなければ気が済まない連中が、ただただ自己満足の「縄張り争い」に明け暮れているにすぎないのです。