創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

自分中心のトラブルメーカー・宮川日護(雄法)

宮川日護(雄法)は2017年10月、保田妙本寺での虫払い法要を前に、自分が関わった参加予定者へ直接、“3000円以上の供養は、私が理事長を務めるNPO法人へ”と呼びかけていました(詳細はこちら)

新たな信徒づくりに血眼の宮川。

ところが、宮川の算盤とは裏腹に、宮川の強欲ぶりと抜きがたい坊主根性は、早くもメッキが剥がれているようです。

宮川から突然の寄付依頼

もう何年も前に、宮川へ法要の導師を依頼したことがある人のところへ、突然、宮川からメッセージが送られてきました。

そこで宮川は大要、次のように書き綴っています。

“今まで、このような寄付の話は控えてまいりましたが、ネパールの国情悪化等のため、支援のための寄付をお願いしたい。協力していただいた方には、秋ごろに記念の品をお礼としてお渡ししたい”

メッセージには銀行口座の番号が複数記され、最後に「N-ICHIGO 理事長 宮川日護」と書いてありました。

ちなみに、このメッセージは春に送られてきたものです。

それで「秋ごろに記念の品」というのが、いかにも宮川らしい言い草です。

あまりにぶしつけな突然の依頼に、これは到底「寄付」とは思えないと、その人は無視したそうです。

このような事例は枚挙に暇がありません。

「宮川は何かといえば“寄付”」

かつて宮川に同調し、宮川のFacebook閲覧を“推進”していたほどの支持者が、最近、次のように語っているそうです。

“宮川は坊主だから目線が高い。目線が庶民じゃない。

結局、宮川も、元職員を売りものにする3人も、すぐに金を集めようとする。

社会人として苦労もしないで、あいつらは何様なんだ。

宮川も、何かといえば寄付ばかり。それが嫌だ”

理屈はどうあれ、また経緯はどうあれ、事実上、「学会本部批判をメシのタネにしている」という事実は、結局、「信心即生活」という仏法者の基本から外れている。

そこには説得力など微塵もないわけです。

「宮川の師匠は誰?」

さらに宮川が、日顕を「師匠」と仰いでいる事実についても、疑問の声が湧き起こっています。

宮川はFacebook上で、かつて日顕を罵っていた自らの過去を「若気の至り」と自嘲してみせました。

さらに「人からの評価や賞賛などを求める余り、日顕師への悪口罵詈など、優れた御人格を傷付けました事は、再び、お会いする機会があれば、心よりお詫びしたいと思っております」と、日顕を讃え、謝罪の意を表したのです(詳細はこちら)

こうした一連の投稿に対して、宮川シンパだった人物の一人は、宮川のFacebookにコメントを書き込んでいました。

「ちょっと複雑な思いでいます。勇法師(=ママ)の立ち位置ですが、御僧侶としての宮川日護(改革同盟)、師池田先生の弟子としての信者。勇法師にとって真の師匠はどちらになるのかな?という事です…「師」は一人だと思うのですが!」

ここで指摘されているところの「宮川の立ち位置」──ある意味、明快です。

それは「自分中心」の一語に尽きます。

その判断基準も、「儲かるか、儲からないか」しかありません。

ですから、ある時は猫なで声で媚びへつらい、ある時はエキセントリックに罵詈罵倒する。

そこには、信仰も、師弟も、存在しないのです。