創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

波田地グループの信心

波田地グループの本尊をめぐる雑乱ぶりについて前稿で綴りました。

なぜ本尊が乱れるかといえば、それは信心が乱れているからです。

そして、その元凶は、グループの中心者である波田地克利と、グループの番頭格・金原(きんばら)明彦の無信心にほかなりません。

本稿では、波田地グループ、なかんずく波田地・金原の無信心ぶりに焦点を絞ります。

「不敬」であり「信仰とは言えない」

かつて金原は、こう語っていました。

「お形木、これを勝手にですね、“じゃあ、俺っちはこっちがいい”“俺はこっちがいいや”“いやいやいや、俺は、もうあいつが選んだから俺はこっちがいい” ──。こんな勝手なことをして、御本尊下付したら、これはただの不敬であるし、信仰とは言えないと思います」

ところが当の金原自身が、宮川日護(雄法)とグルになって、保田妙本寺の本尊をセルビアグループなどに配る道筋をつけた張本人でした(詳しくはこちら)

まさに「不敬」であり「信仰とは言えない」のではないでしょうか。

ここから波田地グループにおける今日の本尊雑乱が始まったといえます。

モノ扱いで本尊に甲乙つける

事実、一人のメンバーが、保田妙本寺の本尊を受けたことを集会で告げた際、その本尊についてメンバーたちは、表装がどうの、版下がどうのと、まるで骨董品か何かを品定めするような調子で論じ合ったそうです。

やれ“波打ってる”だの、“少し黒くなってる”だの、“脇書きから切れてる”だの......。

まるでモノ扱いだったといいます。

金原の感化を、グループメンバーたちも知らず知らず受けてしまっているのでしょう。

「“一緒にお題目あげよう”なんて」

それでは、波田地は本尊について、どのように考えているのでしょうか。

波田地は表向き、「遥拝勤行」がよい、と言っています。

「遥拝勤行」とは、顕正会が行っている「富士大石寺にまします本門戒壇の大御本尊を、わが家より遥かに拝みまいらせる勤行」です。

しかし、これも単に、つじつま合わせで言っているにすぎません。

というのも、そもそも波田地は、朝晩の勤行すら、ろくすっぽしないといいます。

そう語るのは、たびたび波田地と共に終日過ごしたことのある人物ですので、間違いないでしょう。

さらに、波田地の無信心ぶりは、グループ内でも有名です。

例えば、あるグループメンバーが、波田地のことを「ブーブー言ってた」そうです。

詳しい経緯は定かではありませんが、その「ブーブー」の中身は、何かを言われたことに対して、「“一緒にお題目あげよう”とか言えないのかな、あのおじさん(=波田地)は」と不満を漏らしていたといいます。

その事実を聞いた他のメンバーが合いの手を入れます。

「一緒にお題目あげようなんて、ご隠居(=波田地)、言うわけないよ」

この一言に、我が意を得たりと大笑いするメンバーたち。

他のメンバーが付言します。

「“一緒に伊勢神宮行こう”とは言うけどね」

波田地に信心がないことなど、言わずもがな、グループのメンバーが一番よく分かっているのです。

このようなグループが、学会のありように対してツベコベ言うこと自体、筋違いにもほどがあります。

波田地グループのズレ

前稿で、グループのメンバーからも、グループの本尊に対する考え方を「非常に幼稚」「あまりにもフリーすぎる」と問題視する声が上がった事実に触れましたが、その際、同席していたメンバーの一人は、ポツリ「金原さんがいますからね」とつぶやきました。

それに対して金原は、「僕は一番厳格なつもりでいるけど」と真逆に応じました。

このズレが、そのまま波田地グループのズレなのです。