創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

いまだ創価学会にもたれかかる波田地克利

しばらく様子を観察していましたが、波田地克利は今、グループの情報が外部に伝わっていることで、犯人捜しに血眼のようです。

やれ「愛知の誰それがアヤシイ」、やれ「石川の誰それがクサイ」と、いろいろな名前を挙げては、無理繰りに筋書きを描こうとしているといいます。

蚊帳のそとに置かれている波田

なぜ波田地は、“犯人”を仕立て上げて、あちらこちらで吹聴して回っているのでしょうか。

それは、誰あろう波田地自身が、グループメンバーから真犯人として疑われているからです。

こんなこともありました。

とある集会、グループメンバーで示し合わせ、波田地にはギリギリまで日程を伝えないということになっていました。

なぜなら、情報が漏れてしまうからです。

ところが、そのギリギリのタイミングになっても、波田地には日程が伝わっていませんでした。

悲しいかな、忘れられていたのです。

「あご・あし・まくら」付きで全国巡業

波田地はプンプンだったようですが、しかし、その原因は自分自身にあることを、波田地も自覚すべきでしょう。

ここ最近、グループの間では、波田地の人間的なだらしなさに、ウンザリというムードが充満しています。

ろくろく仕事もせずに、日本全国を物見遊山ついでの“巡業”へ歩き、しかも、その「あご・あし・まくら」一切合切が他人もちの時も。

グループメンバーの家に転がり込むことも、しばしばです。

しかも、それらについて、礼の一つもないと怒っているメンバーも多いようです。

晴耕雨読

さしたる理由もなく5年以上にわたり正業に就かないで、グループメンバーから「いい加減に働け」とまで言われてしまう始末。

それでどう暮らしているかといえば、還暦をすぎてなお、年老いた親のスネをかじるは、髪結いの亭主よろしく妻の厄介になるは。

さらに、金銭的な援助をはじめ、多くの人々の世話になりながら「ありがとう」の一言すら言えない。

それで口を開けば「学会本部が悪い」「執行部のせいだ」──。

「箸にも棒にもかからない」とはこのことです。

市民農園で石灰撒きなどの農作業に勤しむ波田地を、波田地グループの番頭格・金原(きんばら)明彦が「晴耕雨読」などと茶化し、冗談で済んでいた時代も今は昔。

一時期、“社団法人をつくって、波田地を専従に”と食い扶持の心配もされましたが、今や、ろくに働きもしないでいるから非常識になるのだと、多くのメンバーが怒りを露わにしているといいます。

「信心即生活」に照らして

さすがの波田地も、いつまでも楽隠居を決め込んでいてはマズいと思ったのでしょうか。

最近では、グループメンバーのところで世話になり、アルバイトのような仕事をやり始めたようです。

しかし、集会と聞けば、その仕事をドタキャンしてしまうのですから、信仰者はおろか、まともな社会人としても“失格”でしょう。

どれほどご立派なご高説を並べ立てようとも、学会指導の根本は「信心即生活」です。

自業自得で追い出された今なお、学会にもたれかかっているにすぎない波田地の「生活」は、その「信心」とやらを雄弁に物語っています。