創価学会員として生きていく

さまざまな人々を反面教師としながら、どのように「創価学会員として生きていく」べきかを考えます。

波田地グループがライバル視する元職員ら福岡グループ(福岡大祐、小平秀一、滝川清志、野口裕介)

勢力拡大のために、集会などの参加対象を限定せず、社会的に開かれたかたちで呼びかけ、直接的な人間関係がない層を糾合する ──概ねこのような方向性を波田地グループでは「フルオープン型」と称し、志向してきましたが、今日に至るまで、なかなか緒に就かずにきました。

だからでしょうか、寄せられた複数の情報によれば、福岡大祐と“元職員”を売りものにする小平秀一、滝川清志、野口裕介ら(以下、「福岡グループ」と称します)による「フルオープン型」に対して、これまで波田地グループの面々らが一方的に抱いてきた羨望と嫉妬とが入り交じった感情と、それゆえの対抗意識は、並々ならぬものだったようです。

マーケティング的には正しいと思う”

ある日のこと、波田地グループの中心的なメンバーだけが集まった際、次のような謀議が巡らされたといいます。

「駆け込むところがないから」──メンバーAは、福岡グループの元へ不平・不満の徒が寄ってくる理由を、こう述べます。

それに乗じて 「3人の思想とか行動に対してじゃなくて、受け皿としては、機能はそれだけしている」と分析するメンバーB。

これに対して、メンバーCが自身の問題意識を表明します。

「だから、そこを横から、ちゃんと“違うよ”と、“こっちのほうがいいよ”と、“おいしいでしょ”っていうのを、やらないとダメだと僕は思う」

すると、Bは応えます。

「それ(=福岡グループへの同調者)を奪うっていうのは、やらしい言い方だけど、マーケティング的には正しいと思う」

すかさず、波田地グループの番頭格・金原(きんばら)明彦が、「だから、頑張れるわけ」と合いの手を入れます。文脈からすると、「マーケティング的には正しいから頑張れる」という意味でしょう。

そしてCが結論します。

「“あと5年で元職(=小平秀一、滝川清志、野口裕介ら)がダメになったら、誰が受け皿なの?”ということを考えると、やっぱり、ちゃんとやっとかなきゃいけないと、僕はそう思います」

要約すれば、福岡グループの賞味期限が切れるのは時間の問題。

であれば、そのお客さんを確実に手中へ収めるべく、今から手を講じるべきである、という皮算用です。

まさにブーメランで、「思想とか行動」などお構いなし。日蓮正宗による脱会者づくりにも通じる「やらしい」話です。

“マンネリ化して得るものがない”

またある日のこと、虎視眈々とおこぼれを狙う波田地グループは、福岡グループの現状を、こう分析しあったといいます。

「元職の行き詰まりは、要するに、ここにも書いてあるけど、マンネリ化。要するに、“皆さん、来てくださいね”で、仲間内だけの活動報告的な体験談をボンボンと打つ。あとは“みんなで語り合いましょう”みたいなので、1時間半、2時間、語り合って終わり。みんなが自分の思ってるのを吐き出して終わるだけ。そこに何か価値的なものはない」

これに対して金原が一刀両断。

「得るものはない」

ここぞとばかりに加勢する石黒広信。

「人が離れていくのは、マンネリ化もあるし、独善性がやっぱ強いというか、というのも、話としては聞くんですよ」

これにメンバーが「そうですね。“サイレント来てください”の一本槍とかね」と同意すると、石黒も「(彼らは)“なんで来ないんだ”と(同調者を追及する)」と福岡グループを批判したといいます。

愚癡や文句を「吐き出して終わるだけ」で、「そこに何か価値的なものはない」のも「得るものはない」のも、波田地グループの集会に、そのまま当てはまる現状です。

そのため波田地グループも、福岡グループと同様に「マンネリ化」し、「行き詰まり」を見せているわけです。

さらに、福岡グループの集会に参加したことがある女性メンバーは、他の女性参加者たちの目的を、こう指摘したそうです。

「仲間探しが結構ある」

「終わった後からの2次会、3次会を楽しみにしてるだけのこと」

「飲み会を楽しみにしているだけ」の波田地グループと、まるで瓜二つです。

“子どものケンカと一緒”

波田地グループの中で、積極的に福岡グループを取り込もうと働きかけてきたのは、波田地克利その人です。

小平に会ったり、波田地グループの集会に誘ったりと、さまざま画策します。

しかし、波田地にしてみれば、3人は、元職場の「後輩」。悪いクセで、ついつい上から目線で先輩面したくなってしまうのでしょう。

あれやこれやと小平に説教を垂れて以来、3人のほうが波田地を煙たがるように。

こうした経緯を知る波田地グループの一人は、「(小平は)隠居(=波田地)にガツンとやられたから、恨みつらみがあるんでしょ」「子どものケンカと一緒なんだよ」と切り捨てたといいます。

自覚の有無に違いはあれど、我が身の欠点は、誰よりも自分が一番よく分かっているものです。

そして、自身と同じ欠点を他者に見いだした時、それを執拗に攻撃したくなるのが凡夫の常。

端から見ていると“いったいどの口で?”と言いたくなることもしばしばですが、本能的に、他人の価値を否定することで、自己の価値を肯定し、保とうとしてしまうようです。

「同族嫌悪」は、こうした心理から発するのでしょう。

小平も小平、波田地も波田地。

まさしく「子どものケンカ」──双方ともに幼稚なのです。

そして間もなく、波田地グループの番頭格・金原(きんばら)明彦が、昨年来、温めてきた企画が、ようやく日の目を見ようとしているようです。

果たして“波田地グループ版・フルオープン型”の成否や如何に──。