「波田地克利さんの裁判と出版を支援する会」創設を自分から提案する波田地克利
田口伸明と波田地との接点
前稿で述べたHKとの裁判の過程で、波田地克利が“白状”している一つに、かつて学会本部の職員を務めていた田口伸明との関係性があります。
田口は外部ジャーナリストへの情報漏洩や、そのほか下劣な事件を引き起こしたことなどにより、学会本部を懲戒解雇されたようです。
その後、行き場を失った田口は波田地と連動して、“不当な理由で懲戒解雇された”などと虚偽の情報を喧伝し、学会執行部への不信を抱かせる言動を続けたかどで2013年、学会からも除名となったといいます。
なお、情報によれば、除名にあたって田口は、弁明の機会が与えられるもこれに応じず、弁明書すら提出しなかったといいます。要は、それほどに“ぐうの音も出なかった”ということでしょう。
ともあれ、田口と波田地の結びつきは、すでに、その当時から表面化していたわけですが、今回、2人の水面下における接触についても、その一端が明らかとなっています。
裁判での主張によれば、波田地は、この田口と2013年8月の夜、東京において、講談社の社員2人と会食懇談したそうです。
田口は自分を高く見せるために、学会批判をメシのタネにするブラックジャーナリストや、学会ネタを担当する雑誌記者との繋がりを、折あるごと、自慢げにひけらかしていたようです。
田口を起点とした田口─マスコミ─波田地の連携が、いかに綿密なものであったかが伺い知れます。
また、波田地は、田口(=文中では「T口氏」)とHKとの関係性を、「8月12日の前後数日に原告〈=HK〉が最も頻繁にやりとりしていたT口氏(8月8日に一往復、8月9日と10日で一往復、そして10日のT口氏の返信に対して13日に原告の返事がある。)」などと明かしていました。
当時、HKは波田地にとって、最大の庇護者と言ってもよい存在です。田口が、波田地グループに深く食い込んでいた様子が見て取れます。
さらに、今回のHKとの裁判にあたっても、波田地は田口に連絡をとり、協力を得ていたようです。
“増上慢つながり”の田口と波田地
田口という人物は強烈な上昇志向の持ち主なようで、あえて外部ジャーナリストに内部情報をリークし、中傷記事を書かせた上で、その情報漏洩の犯人が自らの所属する広報室の職員であるかのようなデッチ上げの情報を流布し、その職員の信用を失墜させる言動を繰り返すなど、自分の立身出世に目障りな存在を貶めるために、極めて陰湿・陰険な手段を弄する“マッチポンプ男”であるといいます。
私怨に取り憑かれて陰謀をめぐらし、それが暴かれて“断罪”された田口が、挙げ句の果てに助けを求めた先が、波田地でした。
波田地は波田地で、自己顕示欲が服を着て歩いているような男です。どうにかして、自分の私怨を晴らしたい。しかしながら、いかんせんネタがない。そこに突如現れた田口が、波田地には救世主に見えたことでしょう。まさに「瞋るは地獄」。グループメンバーの心配も意に介さず、藁にもすがる思いでつかんだ田口もろとも、波田地は地獄の業火に焼かれるはめとなったのです。
戸田先生は「キツネのような目をしたウソつきにはなるな!」と、ウソをついたり、ごまかす青年は絶対に許されなかった──そう池田先生は、何度も教えてくださいました。
転落者の来し方を長い目で見たとき、この端的明快なご指導が、いかに人間の本質を鋭く突いたものであるか、まざまざと思い知らされます。
そして、キツネとタヌキの化かし合いとでも申しましょうか、裁判の過程では、そうした私怨を腹黒く利用しようと企んだと思われる輩の存在も垣間見えますが、これについてはまた他日に譲りましょう。
「裁判」と「出版」でカネ集めを目論む
さて、余談のつもりが、少々長くなってしまいました。
閑話休題、波田地の「600万円訴訟」をめぐっては、対立する金原(きんばら)グループの面々が、HKと一緒になって大騒ぎしました。 これに波田地は、ある日の集会で憤慨します。
「名誉毀損の裁判と考えただけでも、HKと金原が僕に100万ずつ、200万払う義務がある」
「HNも、コメ助(=ハンドルネーム)もね、MKも、それ相当、相応の分は、払ってもらわないといけない」
「天野(達志)氏、あと中井(健太)、〈中略〉明らかに損害賠償の対象として、こっちとしては今後、裁判起こそうと思ってる」 ──等々。
と共に、こうした裁判の話と抱き合わせで波田地が言い出したのが、「出版」の計画です。
「戸田先生のね、『創価学会の歴史と確信』に秘められた、戦後、創価学会が、なぜここから発展したのか、その秘密を解くというようなテーマの本」を「きちっと論文のかたちにまとめて」「対社会的にも検証に耐えるものとして」「まず1発目として本を出したいと考えてる」などと言い出しました。
この「裁判」と「出版」をもって、波田地は本題を切り出します。
「いわゆる電子書籍版が50万。それをオンディマンドでプリントアウトするようなかたちにして50万。ま、100万」「裁判費用として100万。出版費用として100万。えー、ここから1年間で、えー、必要となる大まかな額が、だいたい提示されたんですね」
「教学研究会が一歩、脱皮するためにも、ちょっと今までとは違うかたちをとりたいと。で、一つがね、いわゆるね、カンパを募りたいと考えております」
「仮称『波田地克利さんの裁判と出版を支援する会』ってことで」
──くどくど前置きを並べ連ねた挙げ句、これが波田地の言いたいことだったわけです。すでに名称まで自ら考案済みなのですから、おそれいります。
それにしても、よくも図々しく、「波田地克利さん」を「支援する会」などと、言い出せたものです。これが「厚顔無恥」ということなのでしょう。
「『波田地さんが好きなように使ってください』っていただいたカンパ」
その上で波田地は、手数料を安くできるようにと振り込み先の口座を3つも案内したり、はたまた、カンパに協力した者には自著を1冊贈呈すると予告してみたりと、カンパへの協力を盛んに売り込みます。
こういった時の手際の良さは、いかにも波田地らしいところ。そこに波田地は、抜け目なく差し込みます。
「カンパの主旨からして、これまでも、『波田地さんが好きなように使ってください』っていただいたカンパだったもんですからね。まあ、そういうことも加味して、とりあえず、今、私が利用している個人の口座、3つ、お知らせします」
「波田地さんが好きなように使ってください」 ──このフレーズがあるかないかで、結果は大きく変わってきます。
何しろ、HKから裁判費用として受け取った600万円にしても、そのうち300万円弱は住宅ローンの返済をはじめとする生活費に使ってしまっているのですから。
なお、波田地はHKとの裁判をめぐっても、グループメンバーのTTから、50万円以上をせしめています。
「具体性が一切見えない」VS「使い道については何にも申し上げません」
現時点で影も形もないものに対してカネを出せと言っているのですから、グループメンバーには一様に、心中穏やかならざるものがあったのではないでしょうか。
一人の女性KKが、突然持ち出された波田地の提案に対して、皆の声を代弁するかのように疑義を呈します。
「具体性がね、一切見えないわけ。ちょっとね、戸惑います」
「“これが当然だ”みたいにね、“みんな従ってください”みたいな感じになったら、誰もちょっとね、みんながみんな、“はい、分かりました”って(ならない)」
まったくもって、その通りだと思います。
これに対する波田地の応えが、また振るっています。
「うん。いや、だからね、お金については、ね、僕は、はっきり言って個人口座で、ね。“波田地さんの好きなように使ってください。使い道については何にも申し上げません”という、そういう意味合いで、僕は個人口座に振り込んで、今までも、あの、もらってきたし。ね。そこの部分はね、今後、教学研究会として口座設けて、会費設けて、みんなの共有のお金になるものが生じた段階のことと、僕はね、別問題だと(思う)」
虚心坦懐に波田地の発言を見れば、その意図は明々白々でしょう。
「使い道については何にも申し上げません」という意図かどうかは、出す人が決める話で、波田地が決める話ではありません。
どう考えても、「裁判」と「出版」は表看板にすぎず、要は「自分の自由になるカネ」がほしいだけの話。そして、これまで、こうした表看板が“看板倒れ”になってきた例は、枚挙に暇がないほどです。
つまり、「教学研究会」なるグループは、波田地の“常連客”を囲い込むための手段にすぎないのです。