創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

「創価学会 東京・中野の大幹部」なる藤田瑞明による「原田選挙学会を告発」のウソ

組織固めに全国行脚

2024年の夏、波田地克利は青春18きっぷを使って、西日本、中部日本、東北・北海道の北日本と旅する中」で、何人かのグループメンバーと直接会い、酒席を共にするなどしました。

金原(きんばら)明彦らとの決別以降、特に、ここ1年余で、波田地を取り巻く顔ぶれは、だいぶ様変わりしました。若き日に教宣活動を通じて繋がった者や、創価大学出身者などを中心とした同窓会的関係から、ネットを媒介として繋がってきた新参者へと(表向きの)主要なメンバーが入れ替わってきたため、組織固めに向けたリアルな関係構築に躍起といったところでしょうか。

余談ながら、これまでの金原明彦らの苦心惨憺ぶりを省みれば、“リアル波田地”を知られないほうが、よほど組織固めになると思うのは、当方だけではありますまい。

藤田のデタラメ動画

そうした新メンバーに散見される特徴は、病的なまでの強烈な思い込みです。あらゆる事実が、自作のストーリーを強化するために歪められていきます。

なればこそ、何かといえば、証明しようのない壮大なストーリーをこしらえて、やれ“天魔が入った”やら、やれ“アメリカがどうのこうの”やら得意満面にまくしたてる、生来の陰謀論者ともいうべき波田地との親和性が極めて高いであろうことは、容易に想像できます。

なかでも波田地が重用しているのが、創価大学11期、東京・中野の藤田瑞明(みずあき)です。瑞明は総区副壮年部長、妻の泉美は地区副女性部長だったそうですが、それらの役職を解任となり、自分たちから退会届を提出したと、自ら明かしています。

瑞明は4月6日、波田地グループの集会で“体験発表”しましたが、波田地らは、それを動画にまとめ、YouTubeで公開しています。

ここでは、藤田瑞明による動画が、いかに真実から懸け離れた捏造の“デマ”であるか、その一端を示してみたいと思います。

タイトルの根拠からして改変

藤田は言います。

「都議選終了後の本幹では、原田会長が全員当選に浮かれたのか、『公明支援は宗教運動の一環であり、人間革命のための根本中の根本』と発言したのです」

しかし、実際の原田会長による指導は、こうです。

「私たちの推進する支援活動は、『仏法の慈悲を根底にした人間主義の政治』を実現するための、宗教運動の一環であり、だからこそ、まず何よりも、私たち自身の人間革命──言い換えれば、祈りを根本に、全ての人の仏性を信じ抜き、あらゆる差異を超えて友情を広げる中で、自己の境涯を広げゆく実践こそ、根本中の根本であります。そして、そこにまた、仏縁が結ばれ、学会への理解と共感が広がっていくのであります」(「聖教新聞」2021年7月14日付)

つまり、

「支援活動=人間革命のための根本」(藤田作)

「人間革命=支援活動の根本」(原田会長)

まるでアベコベに主客を転倒しているのです。

これをもって藤田は「まさに己義であり、邪義にほかなりません」と断じているのですから、目も当てられません。動画のタイトルにある通り、藤田が「告発」する「原田選挙学会」の根拠たるや、さっそく崩壊です。

読解能力の問題?

藤田は、こうも言います。

「『組織の運営や公明党の政策を批判する者は反逆者』という前代未聞の指導を行ったのです」

しかし、実際の原田会長による指導は、こうです。

「近年の反逆者らがさらす醜態を見れば、そうした『自分中心』の者は、組織運営上の方法論や諸課題、あるいは公明党の政策などへの賛否などを大義名分に利用して、己の後ろめたさを覆い隠し、自己正当化を図ろうとするのが常套手段であることも、皆さま、ご存じの通りであります」(「聖教新聞」2021年7月14日付)

つまり、

「組織や党を批判→反逆者」(藤田作)

「反逆者→組織や党を批判」(原田会長)

となっているわけですが、組織や党を批判したからといって、何も全部が全部、「反逆者」だと言っているわけでないのは、一読して明々白々です。

ここでの主語は、反逆者も含めた意味での「『自分中心』の者」であり、そうした者たちに共通する特徴として、組織や党への批判を通じた「自己正当化」を挙げているにすぎないとしか読めないのですが、こちらもまた、まったく話がアベコベになっているのは、読者の皆さんにはお分かりいただけると思います。

もはや、“単なる読解能力の問題?”と疑いたくなるほどの歪曲です。

原田会長の家庭訪問まで捏造

藤田は、さらに、こうも言います。

「(東京都議選に)続いて行われた衆議院選の時」に、原田会長が「東京から札幌にある北海道文化会館に赴き、北海道総会に参加。しかも、前日には札幌市内の会員宅を訪問・激励したことがご丁寧にも聖教新聞に掲載」

試みに、この都議選から衆院選までの聖教新聞を調べてみましたが、原田会長が北海道を訪問しているのは5回。いずれも家庭訪問の記事は存在しませんでした。

藤田が言う「札幌市内の会員宅を訪問・激励」は、まったくのデッチ上げだったわけです。

付言すれば、この間、「北海道総会」なる会合さえ開催されていません。

こうなると、続く「友人からも、いったい、お前たちは何をやってるんだ、(コロナ禍なのに)非常識も甚だしいじゃないかと怒りの電話がありました」との藤田の言葉も、妄言か、はたまた、妄想か。とたんに眉唾となってきます。

池田先生のご指導まで曲解

なかでも見過ごせないのは、藤田が池田先生がされたご指導の主旨を、恣意的に曲解している点です。

藤田は「選挙に功徳がない」と言い切り、その文証として「池田先生は、選挙の支援そのものに功徳があるのではなくして、勝ちたいと願って唱題するところに功徳があるのであると明確に指導されております」と語っています。

これをもって「選挙に功徳がない」と藤田は言っているわけですが、創価学会のどこで、“支援活動をしていれば、題目はあげなくてもよい”などと言われているのでしょうか。

戦いが厳しければ厳しいほど題目をあげる。題目をあげ、勇気を振り絞って、支援を依頼する──。ただただ勝利のためにと、題目をあげ抜くなかで、拡大に挑むところに、功徳がないわけがありません。

そもそも「信心即生活」なのですから、仏法の利他の精神に基づく振る舞いすべてに功徳があるはずです。池田先生のご指導通り、創価学会の指導通りに支援活動に臨むならば、そこに功徳はあるのです。藤田の読み方は、意図的なねじ曲げにほかなりません。

とかく人は、自分の思い込みや願望を肯定する情報に目がいきがちで、反対に、それを否定する情報には目を背けがちです。こうした心理を行動経済学では「確証バイアス」と呼ぶそうですが、それが池田先生のご指導にまでバイアスをかけてしまうのですから、恐ろしいことです。

広宣流布への実践」なくば、縁に触れて移ろいゆく「自分の心」を師として、師匠の言葉すらねじ曲げてしまうのです。

そして、こうした狂いは、波田地をはじめグループの面々に、まま見受けられる傾向です。

一事が万事

このように、具体的な事実として示された引用などが、あれもこれも歪曲・捏造されているのです。

一事が万事、いわんや、そのほか藤田が「副会長が、こう言った」「池田先生は、こう指導した」「会合の参加者が、こう言っていた」と吹聴する与太話をや、すべて歪曲・捏造の類いと見るほかないでしょう。何しろ出典等がない以上、その不在を証明するのは、いわゆる「悪魔の証明」で不可能なのですから。

そして、こうした論の運び方は、まさしく波田地そっくりです。

怪情報を訳知り顔で持ち出して、それを“根拠”に学会執行部を批判する──その果てが「( 八重の相対 )」(あるいは「九重の相対」)なのですから、これを陰謀論者と言わずして何と言えばよいのでしょうか。折を見て「波田地構文」の解析なども試みてみたいところです。

ともあれ、藤田瑞明による動画が、いかに笑止千万なものか、お分かりいただけたのではないでしょうか。次稿では、この藤田を、いかに波田地が利用しているかなどについて触れてみたいと思います。