創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

学会活動したくないだけの自分たちを正当化する 波田地グループの「自活」なる言い訳

波田地克利による独演会の映像も2本目が出ましたが、結局またネガティブキャンペーン一色の内容でした。

これについては他日に譲るとして、本稿では前回予告した通り、そもそも波田地グループの番頭格・金原(きんばら)明彦が力説する「自活」とは何なのか。

そして波田地グループが、その「自活」とやらから、いかにかけ離れているかを見てみたいと思います。

大失敗だった「自活時代のスタート」

2019年4月、金原が夏の集会を「自活時代のスタート」と位置づけ、大結集を呼びかけると、メンバーらは景気よく「みんな声かけをして、輸送態勢とか、いろいろ考えなきゃいけないですけど、しっかりと結集していきたいと思います」等々、金原の意気に呼応したかに見えました。

ところが結果は、「10人連れて来る予定だったんですけど、みんな仕事だとか、試合だとかで、来れなくなって……」等々、ご多分に漏れず金原の独りよがりに終わったことは、以前にご紹介した通りです(詳しくはこちら)

大失敗は結集面だけではありません。その内容面においても惨憺たる有り様でした。

強制受動か自発能動か

「僕は、はたと、腑に落ちたのが、えーっと埼玉の、ハヤ……あのー、あるメンバーがですね」と金原が語ったように、「自活」なるフレーズを最初に言い始めたのは、埼玉のHなる人物です。

Hは以前から、“未活動”の略である「未活」にひっかけた「自活」なる造語を、「クオン」等 のTwitterアカウントで言いふらしていました(クオンがHであることは、波田地がグループメンバーたちに陰で暴露しています)。

波田地や金原とは長年にわたり昵懇の間柄にあるHは、2019年7月の集会で登壇し、独演会をぶちます。

Hは、「脱講」にひっかけて支援活動を揶揄する「脱公宣言」と、創価自活」という、かねてからの自説を持ち出して、創価自活の時代がやってきた」とぶち上げました。

しかしながら、「自活」なる言葉の定義も裏付けも曖昧で、いったい何を目指すのかも、どう活動するのかも、さっぱり分かりません。

一方で、やたらと具体的に言い出したのが、「4つのNO(ノー)」です。

「スケジュール活動にNO」

「国政政党の支援にはNO」

「新聞啓蒙にNO」

「組織信仰にNO」

──これが「自活」なるものの柱のようですが、こう並べられると、ちょっと待てよと思わずにはいられません。

毎月の座談会や本部幹部会などのスケジュールに則っての活動や、聖教新聞の拡大、また、支援期間における支援活動、そして組織につく重要性と、いずれも何十年にもわたって行われ、守られてきた、広宣流布のための活動であり指導性です。

それを「自活」などという軽々しい言葉で十把一絡げに否定してかかるのですから、彼らが根本的に「NO」を突きつけている、その刃の先にこそ、目を向けなければなりません。

そして、それは言い換えれば、要するに「学会活動をしたくない」というだけの話であり、「学会活動から逃げたい自分を正当化する言い訳」にすぎないのです。

義務と捉えるか。権利と捉えるか──。

人から言われて嫌々こなすか。自分で決めて喜び勇んで挑戦するか──。

所詮、強制受動か自発能動かは、「自分の信心」次第だと厳しく自覚すべきです。

「自活」=「自分勝手な活動」

では果たして、学会の組織を離れ、晴れて「自活」にいそしめる身となった波田地グループの面々が、いかなる日々を送っているのか。

2019年4月の集会では、次のような“活動報告”が次々に披露されました。

「居酒屋ばっかり行って(略)お金がかかってしょうがねぇなというような感じです。(略)ここ3年くらい、ずーっと、この、なんて言うんですか、信濃町の悪口を一生懸命、どういう文章にするかばっかり考える毎日」

「時間ができるようになりまして、仕事と、あと、お酒が大好きで、大阪の難波、それから新世界あたりに、ほぼ毎週、出歩いて」

「男子部の活動とかあったら、あり得ないんですけど、ジムに行ったりもできるようになりまして、本当に、ジムに通って、筋トレとかしてる」

「自活」などと偉そうに言っても、この体たらくです。

そして7月の集会でも、金原が期待していたような「自活の活動報告」らしきものを行ったのは、くだんの自活提唱者・Hただ一人と、まったくの空振りに終わりました。

「自分勝手な活動」を求める「自分勝手な信心」では、自堕落への坂を転がり落ちていってしまうのです。