創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

波田地克利の出る幕が狭まる一方の自活座談会

波田地克利がYouTubeチャンネルで自説を垂れ流している件については、以前に触れました。

あれを見て、つくづく「波田地は自分で自分の首を絞めた」と思ったものです。

というのも、ああして自分の発言を公にし、もはや動かしがたいものとしてしまった以上、波田地は、あの動画上で語っている線からは一歩もはみ出ることができなくなってしまいました。

実際には十年一日の手垢にまみれた筋書きをベースとしながら、しかし、それがバレないように都度、タイムリーな話題をつまみ食いしてまぶす一方で、時の経過と共に都合が悪くなった話題や当て推量はコッソリ引っ込めては、勝手気ままに放言できてこそ、波田地の“話芸”は成り立つのです。

それには「密閉性」と「一過性」が不可欠といえるでしょう。

そして何より、波田地の“持ちネタ”は、実はそれほど多くはありません。

「自活サイト」の誘導先として設定されている「自活座談会」で、「波田地隠し」が進んでいるグループの現状を見てみましょう。

“本物を見せるとガッカリされる”

波田地グループが初めて「自活座談会」を開催したのは2019年11月、名古屋においてでした。

ところが、結果は惨たるもので、“新来者”はゼロ。

わざわざやってきた波田地グループの番頭格・金原(きんばら)明彦と、波田地グループの常連6名だけに終わりました(詳しくはこちら)

この時、波田地本人は参加せず、YouTubeチャンネルでの公開に向けて準備中だった波田地の映像が上映されたのみでしたが、メンバーたちからは、“本人よりも、まだ映像のほうが品がある”などと、歯に衣着せぬ論評が遠慮会釈もなく浴びせられたそうです。

また、関西のほうでは“本物の波田地を見せるとガッカリされるから、まだビデオのほうがマシ”とまで酷評され、敬遠されていると、金原が実態を打ち明け、当の金原も内心では同意見のような口ぶりだったといいます。

大失敗をウソでごまかす

ところで、聞くところによれば、後日、現地の中心的人物Kは当日いなかったメンバーなどを前に、当方が言う「金原+6名」は「間違った会場」でのことであり、「事前のビデオチェック会場を、(当方が)一生懸命、本番会場だと(思い込んで)チェックしてましたね」と必死に言いくるめていたそうです。

何はともあれKは、「愛知勢が出鼻をくじいた」──そんなふうに後ろ指を指される事態だけは避けたかったのでしょう。

ともかく、この名古屋での「自活座談会」は、ようやく開催5日前になって「宿坊の掲示板」で告知されました。

しかも「会場の定員が15名の為、先着順」と謳っていたぐらいですから、よほど結集には自信があったと見えます。

波田地グループの面々は、自分たちの見積もりとは裏腹に、まるで集客能力がない現実を目前に突きつけられたにちがいありません。

“ネガティブなことは言うな”

愛知での惨状を踏まえ、次いで開催された関東座談会は、半月以上も前から「宿坊の掲示板」で告知しての開催となりました。

しかし実態は、神奈川や静岡、果ては愛知からもメンバーたちが駆けつけるなど、かなり必死に結集要員をかき集めたようです。

登壇者は皆が皆、“御書講義”を担当したHにせよ、金原にせよ、波田地にせよ、執行部批判と知識のひけらかしがない交ぜになった戯れ言に終始しました。

波田地なんぞ、「“この場はネガティブなことは言うな”と、“ポジティブにいけ“って言うんで」と、事前に“ネガティブ禁止令”が下されていることまで、わざわざ自分から白状してしまう始末。

とはいえ、波田地にポジティブな話など、水中に火を求めるようなもので、どうやったって話はネガティブな方向へと向く以外にありません。

それではと、池田大作名誉会長が若き日に陣頭指揮を執った「大阪の戦い」について講釈を垂れる波田地。

波田地は池田名誉会長の思索をなぞるかたちで、参加者に問いかけます。

「勝つためには、どうしたらいい?」

「20万以上の票を出すためには、どうしたらいいの?」

「一人一人の主体的な歓喜あふれる折伏・弘教の戦いっていうのは、どうやったら起きる?」

「どうすれば、信力って奮い立つんですか?」

さも自分は池田名誉会長の胸中を知り尽くしているかのごとく語り続ける波田地は、ある参加者に、こうも問いました。

「『勝利からの逆算』って覚えてます? これちゃんと言える人、少ないと思うんだけど、●●●さん、『勝利からの逆算』。『勝利』っていうのは?」

「いや、違うでしょ。具体的に」

「(参院選に)勝つことでしょ」

なかなか自分の意に沿う答えが出てこないことにイライラしながら、まるで調教でもしているかのようにバカにしきった調子で説教を垂れます。

ところが、これが墓穴となりました。

その後の質疑応答で、いかに波田地の言っていることが空虚な観念論であるかが、白日の下にさらされることとなります。

一人の参加者が、波田地が語るところの「勝利」とは自分たちにとっては具体的に何を指すのか、と問いました。

場内からは、「どうなんでしょうね〜」「う〜ん」の声。

すると、すかさず波田地は、“御書講義”担当のHに対して小声で、「あの、自活の発案者にとって、“勝つ”とはなんであるか……」と、まさかの逃げを打ったのです。

ここで当の波田地自身が「勝利からの逆算」「具体的に」できていないことが明るみに出てしまったわけです。

そして、波田地からのパスを受けたHも、「みんなで〜、みんなで〜、あの〜、あの〜、まず自分に勝つ」

拍子抜けした場内から乾いた笑い声が漏れる中、質問者が「自分に勝つ……。う〜ん、なるほど……。はい……」と合点がいかない雰囲気を見るや、Hは続けて「人生の勝利者。その先のかたちは、今、みんなで用意してます」

質問に対して、すぐさまHに振り逃げした波田地もいただけませんし、いくら押しつけられたとはいえ、Hの答えもいただけません。

自分一人が攻撃的にまくし立てている分には、いかに机上の空論でもそれで済むのかもしれませんが、守勢に回ったとたんにひとたまりもないのは、やはりそれが机上の空論であるからにほかなりません。

いずれにせよ「“この場はネガティブなことは言うな”と、“ポジティブにいけ“って言うんで」との波田地の発言には、金原らグループの中心メンバーたちが、どのように波田地を見定めており、どのように矯正したいのかが端的に表れていると思います。

“コロナはボクたちを迫害した総罰”

そして2020年7月、波田地グループが夏に恒例で行っている集会が、オンラインで開催されました。

厳密にいえば、これは「自活座談会」ではありません。しかし、「波田地の限界」を捉える上では、同一線上の文脈に位置づけるべきでしょう。

「とにかく徹底的に、あの〜、勉強してみた結果をお話ししてみたいと思います」と大上段に振りかぶって波田地が振り込んできた新ネタは、なんと新型コロナウイルスをめぐる「PCR検査」についてでした。

新型コロナウイルスをめぐって、あれやこれや、さんざんまくし立て、無理繰りに学会執行部を揶揄した挙げ句、「じゃあ、あと、ちょっと最後、仏法的なこと話していいですかね?」と、もったいぶって前置きした波田地が、なんと言い出したか。

新型コロナウイルスのような疫病は、総罰にあたるんだと」

「やっぱり今回のコロナ禍は、あの〜、私は実は、え〜、大聖人の、え〜、御書に基づいて、え〜、総罰だと思うんですね」

「いわゆる今回のね、コロナ禍、コロナ騒動ですね、池田先生および真の池田門下迫害の総罰である」

きっと参加者たちは、声には出さなかったものの、わが耳を疑ったはずです。

行き着くところまで行き着いてしまった感を覚えたのは、当方だけではないでしょう。

2001年9月11日にアメリカで発生した同時多発テロを取り上げた日蓮正宗の実質的な機関紙「慧妙」が、それを創価学会攻撃に悪用し、「諸天の瞋(いか)りを畏(おそ)るべし!」などと煽り立てた狂気じみた独善性と、まったく同じ思考回路です。

逆恨みの固まりであるところの波田地に「ポジティブ」など望むべくもないのもさることながら、言うに事欠いて“コロナはボクたちを迫害した総罰”とくれば、いよいよ本格的に焼きが回ったと思わざるを得ません。

ネガティブもネガティブ、これ以上のネガティブはないでしょう。

このオンライン集会での波田地の講談もYouTubeにアップすると予告していましたが、かれこれ2カ月余、編集に手間取っているにしても、ずいぶんと時間を要しているようです。

本記事をきっかけに多くの人が楽しみに待っているかと思いますので、どうか隠し立てすることなくアップされるのを願うばかりです。

ともあれ、こんな調子では、「ポジティブ路線で新メンバーの獲得」という自活座談会のコンセプトに波田地がマッチしないどころか、ぶち壊しと言ってもよいでしょう。

いよいよ「ネガティブ専門」を自認したのか、公認されたのか、8月に行われたオンライン座談会で波田地が“講義”を担当することはなく、最後に一言だけ“閉会の辞”を述べるに留まったそうです。