創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

金原明彦をめぐる金銭の流れの謎

2回にわたり、波田地克利と金原(きんばら)明彦をめぐる金銭の問題について、その実態を明らかにしました。

本稿では、果たして金原は、波田地の“共犯”に留まるのかについて、問題を提起したいと思います。

「迷いなくご隠居を選ぶ」

2013年末に波田地が創価学会から除名となったことを踏まえて、金原は2014年、グループのメンバーに対して、こう高らかに宣言したことがあります。

「『私は悪人だ』と言って悪事を働く奴はいない。皆、正義の顔をしている。じゃあ正義の人、邪悪の人を見抜くものは何か。民衆の為、会員の為に自ら戦ったのか、戦っているのか。これしかないと思う。

私の知る限り、ご隠居(=波田地)は自ら行動し、自ら戦ってきた。要領良く人を動かしたり、守られた建物の中で弁護士を頼みにするのは戦いではない。

その人から肩書きや権力の鎧を全部はがして、たった一人の人間として比べてみよう。私は、どこかの偉い方よりも、迷いなくご隠居を選ぶ。

複雑な理屈に幻惑されないようにしよう。真実は極めて単純なものだから」

これ以上ないというほどの持ち上げぶりです。

波田地は、民衆のため、会員のために、自ら行動し、自ら戦ってきた。だから私は波田地を選ぶ”──波田地への支持を諸手を挙げて表明したわけです。

波田地の“盾”となる金原

また、波田地・金原が決別する以前の2014年、当時の波田地グループの集会に参加したメンバーが、学会の幹部から集会参加をめぐる事実関係などについて問われたとグループ内で報告すると、金原は、こう応じていました。

「主催者云々の追求(=ママ)がありましたら金原の名を出して下さい」

波田地の盾となって戦うとの金原の心意気が伝わってきます。

とはいえ、この時期、金原にしてみれば、波田地が前面に出ることこそ、最も避けたかったこと。“主催者は学会を除名となった波田地”となってしまえば、グループ全体が一網打尽となってしまいます。

男気を見せているようでありながら、その実、単なる計算ずくの保身にすぎません。

「カネの窓口は金原」?

とはいえ、なぜかくも金原は、これほどまでに波田地を立て、波田地を守り続けてきたのでしょうか。

その謎を解く証言が寄せられています。

証言によれば、グループには、HKや武谷勝法のような金銭的に余裕のあるメンバーがおり、波田地への支援を申し出る得心の者もいるそうです。

これに対して金原は、窓口を自分に一本化すると共に、波田地に対しても自分からはメンバーに無心しないよう言い含め、すべての記録を金原が残すからということで、「カネのやりとりは金原経由で波田地」というルートを確立していたというのです。

しかしながら、HKによる波田地への金銭的支援が明るみに出た今となっては、この証言を、どのように解釈すべきか、吟味を要するでしょう。

何があろうと波田地をオモテに立てつつ、その裏で金原が何を企み、何をなしていたのか──。

波田地をめぐる金銭の流れが表沙汰になればなるほど、金原をめぐる金銭の流れもまた、その闇は深まるばかりです。