創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

波田地克利と金原明彦の分裂劇を追う③

波田地はずし”を目論む木村博昭のメールをめぐって、これに憤慨した波田地克利が2020年から21年の年末年始にかけて、金原(きんばら)明彦らと全面衝突するに至った事実は、すでに触れました。

波田地によれば、波田地は金原と袂を分かつ際、「今後、ここで取り上げた諸問題は、今後一切、追及しません。すべて水に流します」と明言したといいます。

ところが、波田地というのは、自分の自尊心が傷つけられることを何よりも許せない男。金原グループの女性中心者SHが、それまでの波田地の発言を「まさに狂ったとしか言いようのない内容だった」と陰でこき下ろしていたことが発覚するや、これを奇貨として波田地は反転攻勢に転じました。

その目玉として2021年12月11日にお披露目したのが、「愚かな味方は敵より怖い──正木の足を引っ張り、失脚させた金原、木村、2人の副会長ら、八重の相対から9番目の相対へ」なる文書です。

金原に天魔が入った

波田地が、この文書(以下、「波田地文書」と呼称します)で記している内容は、主に2点。1点目は、“金原らに天魔が入った”というものです。

「天魔を察知する感度」が金原らとは「別次元だと自負」する波田地いわく。

「いやあ、それにしても、天魔ってエグいですね。まさか、これまで、二人三脚、三人四脚でやってきた金原さんや木村さんらに取り憑つくとは、思ってもみませんでした」

これを見るだけで、波田地の「天魔を察知する感度」とやらの程度が知れます。

また、その「天魔」の取り憑きパターンについても、波田地は「天魔は、時々の正法(正しい集団)の内側へ、内側へと入り込むという原理」があるとしています。

つまりは、天魔が信濃町から、今度は金原・木村に移ったということなのでしょう。

どうやら波田地による創価学会執行部への“天魔認定”は解除されたようです。

ただ、もし仮に、「天魔」に「内側へ、内側へと入り込むという原理」があるならば、最後は波田地自身の身中に深く入り込み、その身を食い破ってしまうことになるのではないでしょうか。

真面目に取り合うのもバカバカしい限りですが、要するに、「波田地を排除しようとする者は、みんな天魔」なのです。

「波金相対」

ところで、かねてから波田地が、「五重の相対」をもじった「八重の相対」なる邪義を、折あるごとに触れ回ってきたことは以前にご紹介しました。

6番目の相対:日蓮正宗宗門と創価学会を相対化する「宗創相対」

7番目の相対:池田名誉会長と創価学会を相対化する「池創相対」

8番目の相対:師弟の道と師弟不二の道を相対化する「師弟の道・師弟不二の道相対」

まともな感覚の持ち主にとっては何が何やらチンプンカンプンの、オカルトめいた代物ですが、創価学会の組織に不平・不満を抱く者にとっては、一見、原理主義的な純化路線のようにも受け取れる波田地の論説が、まるで自分の不平・不満を全面的に肯定してくれるかのように感じられるのでしょうか。

しかし、いずれもデタラメな、こじつけの「詐術」にすぎないことは、以前に記した通りです(詳しくはこちら)。

しかも波田地は、今回の「波田地文書」で、「これを機に、八重の相対から九重の相対へ」と結論しています。

波田地の言う“真の池田門下”の中に天魔が入り、今度は波田地グループと金原グループを相対化した9番目の相対として、いわば「波金相対」が出現したわけです。

マトリョーシカではあるまいし、まさに一事が万事、改めて言うまでもなく、「八重の相対」論それ自体が、所詮は波田地による幼稚な自己正当化の道具にすぎないのです。

新たな「悟り」の瞬間

波田地教”にとっては重大な教義改変ですが、ところが、この「九重の相対」を主張し始めたきっかけというのが、ただの“思いつき”でした。

波田地文書」によれば、ある波田地の同調者が発した「ご隠居(=波田地)の言っていた通り内部から魔はでます。これは八重の相対の上を行きますね!」との一言をヒントに、波田地は「考えてみると、Nさんの指摘は、鋭いかも」「(天魔が移動したことに)いま気づかされた」と、ひらめいたことを振り返っています。

そして、この時、波田地は「これって八重の相対の次の第九番目の相対なのでは?」と思うに至ったそうです。

これぞ“波田地尊師”が新たな“悟り”を開いた瞬間。なんとも薄っぺらい、子どもじみた“悟達”ではありませんか。

余談になりますが、波田地は7番目の相対を、元々は「創創相対」と呼んでいました。

このいかにも語呂が悪い名称についても波田地は、「『池創相対』っていうネーミングが思いついたのが、その●●さんの話を聞いた時なんです」と述懐していました。

「一から十まで」ならぬ「六から九まで」思いつき──このような波田地の愚論に誑かされるほうが愚かと言うほかありません。