創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

波田地・金原グループの金銭をめぐる“ブラックボックス”

波田地克利による金銭の授受をめぐる言い訳文書(詳しくはこちら)では、ほかにも波田地・金原グループにおける「カネのだらしなさ」が浮き彫りとなっています。

その一つは、金原(きんばら)明彦らに対して埼玉のNEという女性が、「なんやかやと飲み食い代を100万円以上使って支援してあげたのに、なんの感謝の気持ちがないので、(波田地とは)縁を切った」と語っていたという話への波田地の反論です。

30年間にわたる“たかり”

波田地は、このNEから、「2、3カ月に1回、年に5、6回程度、女性の地元のファミレスや主婦がランチで集まる店などでご馳走になること」があったそうです。

「多い時は、4人で押しかけたこと」もありましたが、「たいていは、1人か2人」だったといいます。

その勘定は、すべてNEもちで、「そういう関係が30年続いていた」そうです。

その上で、波田地いわく。

「その総額が、100万円以上というわけです。年に4万円使って下さったとして、年5回なら、1回8000円です。全て私と2人だったとして、1人あたり4000円。実際は、もう1人から3人同席することもあったので、1人あたりの支払いは3000円以下。実際、その程度の饗応だったという実感です」

いい年をしたオトナが、30年間もタダメシをあさっている、というのを、世間では“おごり”ではなく“たかり”と言います。

しかも、波田地は自分に都合よく、金額を2等分・3等分していますが、食意地の張った波田地と、年齢的にもだいぶ上の女性の食欲を、同列に並べること自体がナンセンスです。

それはともかく、こうした30年間にわたる“たかり”が、まかり通ってきたのが波田地・金原グループなのです。

常習化していたカンパ

また、集会を開くといってはメンバーからカンパを募るのも、波田地・金原グループでは常習です。

「●●から、また今年も多額のカンパをいただきました。この場をお借りして御礼を申し上げますm(_ _)m」

「毎回、多額のカンパをしてくださる●●さんら兵庫の皆さま、本当に有難うございました」

──カンパが寄せられるたびに、こういった投稿が波田地からメンバー全体に発信されます。

なかには、このような発信もありました。

「●●様、西湖オフ会への真心のカンパ、ありがとうございました。●●さんからの5万円と、●●さんからの5万円で、民宿貸切代の値上がり分を吸収し、今年も伊勢からの高級食材をたらふく堪能できそうです(^_^)/ 心から感謝申し上げます!!」

「今年も伊勢からの高級食材をたらふく堪能」──波田地・金原グループの集会が、その実態たるや、“勉強会”とは名ばかりの「遊び」だったことは一目瞭然です。

こうした風潮がグループに蔓延していたがゆえに、やがて金銭感覚は麻痺し、何十万、何百万という金銭が行き来していたとしても、何とも思わなくなってしまったのでしょう。

ひとたび“びた一文”に対する清潔さが失われてしまえば、その腐敗に際限はないのです。

「箱根の別荘」でもカネ集め

こうしたカンパの好例が、波田地・金原グループにおける「箱根別荘のシェア制度」です。

これは1口1万円の年会費を支払えば、メンバーの一人が箱根に所有する別荘を、グループメンバーなら誰でも使えるというシステムで、2011年8月24日からスタートしています。

年会費は「何口でもOK」となっており、波田地の“たかり先”でもあるカネ回りのよいメンバーたちが大口の申し込みをするなどして、年間の維持費は、ほぼ賄えていたようです。

その上で波田地はメンバーたちに、「暑い毎日が続いていますが、皆さま、いかがお過ごしですか? 夏を乗り切る方法の一つが別荘ライフ」などと、この別荘の利用を盛んに促しており、「先月は、単身赴任中の●●さんが三重からいらっしゃった奥様とハニーな一夜を過ごしw、●●さんや西湖から移動したメンバー等も利用させていただきました。今月も現在のところ、12日~14日●●さん一家、14日~16日●●さん一家、17日~19日隠居(=波田地)一家の利用予定が入っています」などとアピールしていました。

年会費の支払いはオーナー名義の口座へ振り込みとなっており、「(利用を)希望する方は私(=波田地)かいっこく堂さん(=金原)に申し出てください」と案内されています。

こうしてざっと概要をなぞっただけでも、いかにも“ブラックボックス”──うさん臭いこと、この上ありません。

波田地・金原グループの有り様は、「組織内組織」の危険性を余すところなく教えてくれています。

ちなみに、この別荘のオーナーは、箱根のほかに修善寺にも別荘を有しており、波田地はシェア制度2年目に際し、これらの“セット販売”まで始めています。

“2口以上の申し込みで、なっ、なんと! 箱根と修善寺、両方とも使用できちゃうんです!”──まるで、どこかのテレビショッピングばりです。

「できれば年内、冬のボーナス辺りまでにご入金いただけると助かります」と、催促も怠りありません。

ニセコでバケーション

ともあれ、30年間にわたってタダメシをあさってくれば、やがてそれが「当たり前」になるのは人のさがというもの。

そして人間、いったん崩れた身持ちというのは、そうやすやすと改められるものではありません。

2019年8月24日、金原と関西の中心的人物・木村博昭が、静岡の金原宅で、“波田地抜き”で一晩を共にしたことは、以前にもご紹介しました(詳しくはこちら)。

実は、その1週間後、金原はいけしゃあしゃあと、北海道有数の観光地・ニセコで物見遊山に明け暮れていた波田地と合流しています。

なぜ、2人が落ち合ったのが、ニセコだったのか。それは、金原が足繁く南伊豆へと通い、接近を図ってきた資産家の女性CYが、ニセコのリゾート施設に別宅を有するためです。

波田地をダシに、いったい金原は、何を目論んでいたのやら──。

それはともかく、この一事をもってしても、こと「カネ」をめぐっては、波田地と金原は「同じ穴のムジナ」であることは明々白々でしょう。