創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

セルビアグループをめぐって表面化した内紛と金原明彦の責任

「すみません! 話長いんですけど! もう少し短くなりませんか! いつまでこれ、やるんですか! 長いですっ!」

2018年10月19日のことです。

寄せられた情報によれば、 セルビアから来日したメンバーが話をしているさなか、唐突に一人の女性が上げた声に、会場は静まりかえりました。

いったい、いかなる事情が、この女性を突き動かしたのでしょうか。

宮川をめぐる混乱

このブログは、思いのほか反響を呼んでいるようです。

宮川日護(雄法)が、日顕を「師匠」と公言した事実。

宮川が、「能化」を自称し、「日護」を名乗っていることをめぐる疑惑の数々。

宮川が、妙本寺に出入りし、コソコソと本尊を配り歩いている実態。

前稿で若干ですが、その舞台裏に触れた「宿坊の掲示板」(詳細はこちら)でも、大きな話題になりました。

“宮川は味方を装って人を誑かす、善人の顔をした裏切り者”

“天魔・日顕と師匠・日顕は、どう違うのか?”

“衣の権威と御本尊で、学会員を自分たちにつけようとした日顕と、心根は同じ”

“「能化承認書」とやらは私文書偽造では?”

創価新報に出ていた「金銭横領疑惑」には何も反論できないのか”

──等々。

こうした追及に対して宮川は、Facebook上で反論します。

おそらく宮川の怒りは沸点に達していたのでしょう。

宮川は「(私=宮川は)査問され迫害された方々より、元職員さんグループより、○○地さんグループより、勿論、日顕宗の坊主や法華講より、先生を慕い、信心強盛で、三次元の目に見える修行と言う点でも、日蓮仏法の理解、教学においても、桁違いで優れていると、自負している」 と宣言。

その上で、宮川をめぐって意見を言う人々に対して、「偉そうに抜かすな! 引っ込んでろ!」と罵倒したのです。

さらに、自分の「師匠」と、「日護」なる日号についても、「私にとって、『出家』の師匠は、総本山第六十七世、日顕法主であり、この事も終生変わらない。日護と言う日号は、阿部日顕法主命名である」と明かしました。

しかも、自分が、いろいろな方面から批判されていることをもって、「これこそ、波田地氏が言う八重の相対クリアの誉れではないか」と自讃してみせたのです。

こうした宮川の言辞に対して、「宿坊の掲示板」では、“いよいよ坊主根性が出てきた”“どこまでも傲慢な男だ”等々、さらに賛否が入り乱れ、議論の応酬が激しさを増します。

そのため「宿坊の掲示板」では、管理人による投稿の削除が乱発され、投稿が承認制に切り替わり、管理人が自ら裁定を投稿するなど、火消しに躍起となりました。

こうした状況下、2年前に宮川から妙本寺の本尊を受けたことなどにより除名された、元セルビアSGIのメンバーらが、虫払い法要が行われる保田妙本寺に参拝するため、中心者である片野優・典子夫婦と共に来日しました。

そして10月19日、波田地グループなど日本の除名者らとの「交歓会」が行われたのです。

無論、目下最大の関心事は、片野優・典子をはじめとするセルビアグループが、宮川の待つ保田妙本寺に、果たして参拝するの否か、でした。

片野優が女性を公衆の面前で罵倒

冒頭にご紹介した、会の進行に“待った”を掛けた女性が、なおも続けます。

「もうちょっと、みんなで大事なことを話すとか、そういうことできないんですか! 一方的じゃないですか!」

「ここに来たのは、大事なマサルさん(=片野優)やノリちゃん(=片野典子)が、危ない目に遭うんじゃないかって思って、心配で心配で来たんです!」

この言葉に示された通り、女性は、かつて片野優・典子夫婦が折伏した人物でした。

聞けば、翌日から片野らと共に、保田妙本寺へ参拝する予定だったところを、思い悩んだ末に断念したと告白します。

すると、公衆の面前であるにもかかわらず、片野優の口から、押し殺したような怒声が発せられます。

「これから説明するから、焦るなよ!」

「最後まで聞けばいいだろ! それ!」

「2、3分だけ待ってりゃいいだろ! それは! 何を考えてんだよっ!」

「ごめんなさいじゃないよ! そんなの! 何考えてんだよっ!」

思ってもみなかったであろう片野の厳しい叱責に、女性は一転、気の毒なほどしょげかえり、おびえるように平謝りを続けるばかり。

ナーバスになっている宮川周辺の空気を、片野の怒りが雄弁に物語っていました。

火に油を注いだ金原の発言

さらに、妙本寺の本尊や宮川の立場をめぐって、糾弾の声が上がります。

年配の男性が主張しました。

「なんで、そこ(=学会)から追い出されたメンバーが、寺(=妙本寺)に行くのかという、そういうね、やっぱ矛盾があるわけ。

坊主、宮川という坊主は日顕の弟子だと言っているわけですから」

場内は混乱のるつぼと化します。

妙本寺と創価学会との関係について質問した女性を、波田地克利グループの番頭格・金原明彦が、高圧的に問い詰めるひと幕も。

相手を馬鹿にしきった金原の口ぶりに、呆れる声も漏れました。

その金原に対して、くだんの男性が主張します。

「金原さんが言っているね、コレ亡き後、宗教法人たてるっていう話は、俺は納得できないですよ」

これにも金原が声を荒げます。

こうして金原の発言が、次から次へと火に油を注ぐかたちとなり、ますます場は収拾がつかなくなっていったのです。

「あなたたちがやった失礼は絶対に忘れない!」

特に、片野の怒りは、最後まで収まりません。白けきった座の雰囲気に、片野が駄目を押します。

「非常に、失礼な、嫌な思いを、みんな受けましたっ! これは絶対に忘れませんっ! 僕たちは! あなたたちがやったことは! 忘れません!」

「関西では、非常にお世話になりました。こんな風には扱われませんでした! 怒っています、僕は、本当に! ほんっとに失礼でっ!」

こうして「交歓会」なるものは、台無しどころか、まったく逆の結果に終わりました。

情報によると、この会を主催したのは波田地グループの金原明彦。

その手下で動いたのは、同じく波田地グループで、「宿坊の掲示板」の管理人・石黒広信でした。

おそらく金原は、こうなるであろうことを想定していたはずです。

しかし、地下に溜まっていた内紛のマグマが、ここまで一気に噴出するとは、さすがに思っていなかったのでしょう。

なぜ、そのように言えるのか。次稿では、金原の責任を明らかにしたいと思います。