創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

セルビアグループの妙本寺参拝と金原明彦の暗躍

大荒れとなった片野優らセルビアグループとの交歓会(詳しくはこちら)で、途中、波田地克利グループの番頭格・金原明彦は、セルビアグループをめぐる宮川日護(雄法)ならびに保田妙本寺との関係について、経緯を説明しています。

その内容については、また機会を改めて掘り下げてみたいと思いますが、まずもって印象に残ったのは、「金原のずるさ」です。

片野と宮川の仲人は金原

結果はどうあれ、片野優らセルビアグループと宮川を繋ぎ、妙本寺へと繋げた「仲人」は、金原です。

この事実は、動かしようがありません。

席上、金原は説明します。

セルビアにおいては「教師」という存在がいなければ法人として国から認められないと、片野優から聞いた金原が、「いろんなお付き合いのある坊さんもいますけども。改革同盟にも、憂宗護法にも。ただ、なかなか信頼できる人がいなくて」ということで、白羽の矢を立てたのが宮川でした。

この説明は、宮川がFacebook上で綴った、「日本人で唯一の御本尊研究の大家よりセルビアの現状の報告を貰い、助けてあげて欲しいと。【セルビアで新しく仏教団体の宗教法人を取得するには、日本の正式な僧侶の資格を持つ人の承認が必要なのでお願い出来ないか】との事。了解して、直ぐに手続きを進める」との記述とも一致します。

自作の絵画で歓迎した金原

その後、金原は2015年10月、保田妙本寺での虫払い法要へ参列するために来日したセルビアグループを、手厚くアテンド。

22日夜、波田地グループのメンバーなどが集結し、富士市内で開催された歓迎会で、金原は、これまで自分が描いてきた絵画の中から、その作品の一つを会場内に掲げて一行を迎えるほど、セルビアグループに、あつい歓迎の意を表していました。

そして金原は、翌2016年5月、妙本寺の本尊を携えた宮川と共に、わざわざセルビアの地まで赴いています(詳細はこちら)

このように、この時期の宮川と金原は、一蓮托生だったといえます。

宮川に踊らされた金原

ところが大荒れの交歓会、金原は今になって「(宮川は)今、ちょっと、いろんな発言があるんで、僕もちょっと困ってるんですけど。いったい本意は、どこにあるのかなって、よく見えなくて困っているんですが」等と、まるで自分が被害者のような口ぶりです。

また、金原は、質問する女性に対して、こうも言い放ちました。

「今ね、その宮川さんの近日の発言で、皆さん、いろいろ動揺もされているかもしれませんけど、(中略)それに踊らされることは、かえって、向こうに利することになるんですよ! そのことはしっかり頭に入れてください」

よくもまあ、いけしゃあしゃあと言えたものです。

宮川に踊らされたのは、誰あろう金原本人にほかなりません。

今日の混乱の種を蒔いた張本人こそ、金原明彦その人でした。

まんまと一杯食わされた金原が、宮川一人を利したにすぎないのです。

しかも、金原によって宮川と繋がったセルビアグループは、その後、宮川から妙本寺の本尊を受けたことなどにより、2016年11月、団体ごとSGIから除名されるに至っています。

いったい金原は、どう、この責任をとるのでしょうか。

片野を見捨てて逃げた金原

実は“金原が片野に、保田妙本寺には参拝しないほうがよいと説得を試みたようだ”との情報があります。

自分から妙本寺に引き込んでおいて、大騒ぎになるや、今度は手のひらを返したように、妙本寺に参拝するなとコソコソ止めてくる──これだけでも、だいぶ男を下げる話です。

さらには、それでもなお翌日、妙本寺参拝を強行するセルビアグループに、金原が同行することはありませんでした。

我が身に火の粉が降りかかるのを恐れて、逃げたのです。

万が一、自身の責任に追及が及んだ場合には、「僕はとめたんです」とでも言い訳をするつもりなのでしょうか。

片野らセルビアグループを自ら案内して歩いた3年前と比べれば隔世の感、ずいぶんな変わり身です。

妙本寺への参拝を「阻止」しようとした金原

妙本寺における虫払い法要の2日後、宮川はFacebookで、セルビアグループとの交歓会で声を上げた人々を指して「ものに狂った狂信者」「歓喜を奪う脱命者、脱功徳者」呼ばわりしつつ、こう綴りました。

「遠き地より訪れて下さった尊い宝の方々を、寺に行くな、坊主に会うな! 池田先生の弟子たる私を悪魔と罵り、阻止せんとした輩の所行は、刀杖弓箭は用いずとも、それに等しき狼藉であり、妙法の信仰、求道を阻む許されざる迫害であり、その賞罰厳然なるを見るのみでありましょう」

宮川が、口角泡を飛ばして恨み節を吐いている、その 「狂信者」「脱命者」「脱功徳者」の筆頭こそ、何を隠そう金原明彦だったのです。