創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

保田妙本寺の本尊をセルビアで配る宮川日護(雄法)

“能化就任”に先立つこと1年、2015年10月18日に宮川日護(雄法)は、かつてセルビアSGIの中心者だった片野優(まさる)・典子夫婦をはじめ、セルビアから来日したメンバーを保田妙本寺に参詣させています。

そこには、どのような思惑があったのでしょうか。

セルビアグループを案内した金原明彦

妙本寺を訪れた一行には、金原(きんばら)明彦なる人物らが、同行・合流していたといいます。この金原、詳しくは他日に譲りますが、波田地克利(はたち・かつとし)なる人物が主導するグループの“番頭格”にあたります。

信濃町や八王子、京都などをめぐった一行は、22日には富士宮市内を見学。夜には歓迎会が催され、波田地グループのメンバーなどが集結しました。こうしたセルビアグループを全面的にアテンドしたのが、金原だったようです。

「妙本寺から御本尊をもらえる」

その後、冒頭に登場したセルビアグループの中心者・片野優が2015年末に来日。その際、片野は次のように語っていたといいます。

“妙本寺から御本尊をいただけることになった”

一方、この時、すでに翌年5月のセルビア行き計画が、波田地グループの中でも練られていたようです。

セルビアでの御本尊授与式

そして迎えた2016年5月、ここに至って登場するのが、宮川日護です。

セルビア入りした宮川は、金原らグループ関係者20数名と共に3日、セルビアメンバーとの交流会に参加。同行した天野達志なる人物や片野が挨拶するなどしました。

そして行われた御本尊授与式、そこで宮川はメンバーたちに、保田妙本寺の本尊を授与したのです。

この事実を裏付けるように、約5カ月後の妙本寺での虫払い法要で、宮川自身が参加者に、セルビアに数十体の御本尊を持って行った”と語っていたとの情報もあります。

さらに、宮川の父が死去した当時を振り返り、2017年3月1日に「父の逝去の日、私は大切な友と、旧ユーゴスラビア.現セルビアを訪問中であった為、通夜も葬儀も参加出来なかった」Facebook上で書き記しています。

波田地グループの影

セルビアの片野優が語っていた“妙本寺から御本尊をいただけることになった”との一言。この密約は果たして、誰と誰との間で交わされたものだったのでしょうか。

宮川は2017年5月5日にFacebook上で、セルビアとの関わりについて、そのきっかけを明かしています。

「日本人で唯一の御本尊研究の大家よりセルビアの現状の報告を貰い、助けてあげて欲しいと。

セルビアで新しく仏教団体の宗教法人を取得するには、日本の正式な僧侶の資格を持つ人の承認が必要なのでお願い出来ないか】との事。

了解して、直ぐに手続きを進める」

宮川らしい大仰な言い回しですが、「日本人で唯一の御本尊研究の大家」なる人物が、波田地グループの中心人物・金原明彦を指すであろうことは、金原が『日蓮と本尊伝承』なる書をまとめている事実を知る人であれば、容易に察しがつくでしょう。

「宮川」と「セルビア」との間に、「金原」ひいては「波田地グループ」という線が浮かび上がってきます。

まるで「宮川日護の信徒」

宮川は妙本寺の本尊について2017年9月7日、こうFacebook上で記しています。

「勿体なくも、大本山 妙本寺 貫頭(ママ) 鎌倉日誠上人猊下に、おかれては、妙本寺にて授与の本尊を数十体お預け下さり、縁故者への下付を、寛恕下さっている」

関係者の証言によれば、先代の鎌倉日桜氏が、宮川から本尊下付について相談を受けたようです。その流れは、先代が亡くなった後も、現在の鎌倉日誠氏に引き継がれました。

ただし、妙本寺側からすれば、「妙本寺の本尊を受ける」ということは、「妙本寺の信徒となる」ということを意味します。そのために宮川には、妙本寺としての下付願いも渡されているとの情報もあります。

つまり、妙本寺の本尊は、簡単に下付されるべきものではなく、また、下付をしたならば「妙本寺の信徒」として、しっかりと「妙本寺につける」ことが宮川には求められるわけです。

わざわざセルビアまで出向いて、「自分の信徒」に下付するかのごとく、妙本寺の本尊を配り歩いている宮川。妙本寺信徒の間でも物議を醸しているようです。