創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

宮川日護(雄法)の「保田妙本寺が能化承認」をめぐる謎

宮川日護(旧:雄法、以下敬称略)が、保田妙本寺の承認によって能化に就任し、戸籍上の名前も「日護」に改名したことを、2016年10月1日に自身のFacebook上で投稿していたことについては、前回、ご紹介しました。

それに先だって、すでに9月26日、宮川は次のようにも投稿しています。

「妙本寺貫首.鎌倉日誠御当代能化上人には、私の37年の僧侶としての修行生活と海外布教の実績、更には大本山に対する貢献等を、評価していただき能化承認を頂いた」

ところが、実際に取材を重ねてみると、そもそも、その真偽のほどが、調べれば調べるほど疑わしくなってくるのです。

鎌倉日誠氏に注意された宮川日護

まず第一に、果たして宮川は、「妙本寺の僧侶」「妙本寺の能化」なのか否か。現在の妙本寺住職・鎌倉日誠氏の認識は、種々の情報を総合すると、概ね次のようなものです。

1.宮川は「妙本寺の僧侶」ではない。

2.戸籍上の改名を申請するにあたり、宮川が「僧侶」であることは、宮川に頼まれて証明した。

3.妙本寺から許可を出した能化ではない。

4.日顕命名の日号を名乗る・名乗らないについては何ら指図していない。

ところが宮川は、先述のように大本山 妙本寺貫頭.鎌倉日誠能化上人より.勿体なくも能化承認を頂いた」「能化就任を祝して、本山より新調の袈裟(けさ)・衣(ころも).及び指貫(さしぬき)が、届く。正絹製、手縫いで、ウン十万の御品。真心が嬉しい」等とFacebook上で記していたわけです。

聞くところによると、この事実を知った鎌倉日誠氏は、宮川に対して、「誤解を招くような言動や、妙本寺を利用し、妙本寺の看板を傷つけるような言動は迷惑だから、慎むように」と注意し、宮川も「分かりました」と応じたといいます。

さらに、宮川が言う「能化就任祝い」についても、鎌倉日誠氏は「お祝いなど、自分は一切していない」と明確に否定しているようです。

鎌倉日誠氏と宮川日護の食い違い

「宮川とは一線を引いている」と周囲に漏らしている鎌倉日誠氏。一方の宮川は先日9月6日、「経歴書」「能化承認書」なるものの写真を、自らFacebook上で公開しました。

https://www.facebook.com/Yuho.Nichigo.Miyakawa/posts/1016395998562131?__tn__=-R

前者は、鎌倉日誠氏が言うところの、宮川が「僧侶」であることを証明するために、同氏が出してやったものでしょう。宮川もFacebook上で、「近年、名前の変更は大変難しくなっており、許可される場合でも、相当の理由と期間を要する。今回、大本山からの認証の公的正当性と」云々と記していました。

では、後者は、いったい何ものなのでしょうか。

「経歴書」と「能化承認書」では、そのフォントがまったく異なり、割り印の有無にも相違があります。

しかし、「経歴書」の下部に貫首 鎌倉日誠」と透けて見えるところ、「能化承認書」の下部にも、「妙本寺」「貫首の文字が見え、裁判所による印の下には薄らと「経歴書」にある割り印と同じような丸い印が押されているようにも見えます。

食い違う鎌倉日誠氏と宮川の説明。この「能化承認書」は、誰の手によるものなのか、謎は深まるばかりです。

宮川日護と「セルビア

能化承認を報告した宮川は、その際、次のようにも記していました。

「今月、16日、大本山 妙本寺にて年に1度の大宝 虫払い法要が執り行われる。国宝級の日蓮大聖人直筆 本尊や御手紙類。又、国宝の太刀。他。

制服に身を固めた警察官が見守る中、厳かに行われる。一般参加は、難しいが、メッセージを、戴ければ参加可能です。昨年は、セルビアから26名の海外信徒が海を越えて来て下さった。

賜った新調の法衣を着て、奉公させて戴く。慈悲に満ちた宝処、正に、ここにあり。今日も、我が身と、我が命を捨てて、他の為に尽くし抜く一日で有りたい」

この投稿がなされたのは、2016年10月1日。そして10月16日、宮川は妙本寺の虫払い法要に参加したことを、自身のFacebook上で記していました。

問題は「昨年は、セルビアから26名の海外信徒が海を越えて来て下さった」との一文です。次稿では、このあたりの事情を掘り下げていきたいと思います。