創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

波田地グループの本尊

宮川日護(雄法)が波田地克利のグループなどに媚びを売り、学会による財務の意義を誹謗することで、懸命に、自身の新たな信徒づくりを画策してきた事実について、かつて触れました(詳しくはこちら)

そうした宮川が、信徒づくりの道具としてきたのが「本尊」です。

「宮川筋の本尊」を軸に、いかに波田地グループの“信仰”が雑乱しているかを垣間見たいと思います。

保田妙本寺の本尊に取り替えた波田地グループのメンバー

千葉県鋸南町にある保田妙本寺は、日興門流で本山格の寺でしたが、明治時代から戦中にかけて身延などと合同して宗派を結成していました。

それが1957年に日蓮正宗へ帰一しましたが、1995年に同寺は再び正宗から離脱しました。

その保田妙本寺をめぐっては、これまで、かつてセルビアSGIの中心者だった片野優(まさる)・典子夫婦をはじめとするセルビアグループが、宮川の手引きによって、妙本寺から本尊を受けていたことが明らかとなっていました。

宮川自身も2016年、セルビアに数十体の御本尊を持って行った”と語っていた、との情報があります。

ところが、妙本寺の本尊を受けているのは、セルビアグループだけではありませんでした。

波田地グループのメンバーの中にも、すでに学会の本尊から保田妙本寺の本尊に取り替えたと、臆面もなく語っている者がいるといいます。

あるメンバーは、保田妙本寺の本尊をいただくことができると宮川から教えてもらい、下付してもらった、と語っているようです。

本尊で信徒との依存関係を築く宮川

2018年、保田妙本寺との関係性から宮川への批判が噴出し、波田地グループの内紛が爆発した件については先述しましたが(詳しくはこちら)、そうした混乱を経てもなお、「本尊」が急所となっているようです。

宮川筋の本尊を受けているメンバーは言います。

「保田の御本尊のこと絡めて、宮川批判をするっていうのはおかしいでしょ」

ことほどさように、肝心要のところで宮川を責めきれないのは、やはり「本尊」が効いているからです。

そのメンバーは、保田妙本寺の本尊がほしければ、いつでも手配すると、他のメンバーたちに誘いをかけているといいます。

ひたひたと波田地グループの深部を侵食する宮川。

聞くところによれば、セルビアグループの片野らもまた、この2018年、宮川批判が渦巻くさなかにあってさえも保田妙本寺へと参拝し、本尊を80体受けて、セルビアへ持ち帰っていたようです。

ちなみに、この時、波田地グループの番頭格・金原(きんばら)明彦は、片野に対して事前に、妙本寺には参拝しないほうがよいと説得を試みました(詳しくはこちら)

そして翌日、それでもなお妙本寺参拝を強行するセルビアグループに、金原は寄り付きもしませんでした。

つまり金原は、自ら片野らを妙本寺へと引き込んでおきながら、自分に火の粉が降りかかりそうだとみるや、小狡く逃げを打ったわけです。

ところがです。いざ妙本寺参拝の当日を迎えると、とりわけ金原との繋がりが濃い「宿坊の掲示板」の管理人・石黒広信(詳しくはこちら)が、コソコソとセルビアグループに同行していたとの情報も寄せられています。

「御本尊に対する考え方が、非常に幼稚」

こうした波田地グループ内における本尊観に対して、反感を抱いているメンバーも少なくありません。

あるメンバーは率直な真情を吐露します。

「(波田地グループは)正直なところ、御本尊に対する考え方が、非常に幼稚だなという部分があるんで、もう一度きちっと対話をしながら、確認をしていきたいと思います」

「このグループが御本尊に対して、ちょっと、あまりにもフリーすぎる」

傍目から見ている限り、もっともな意見だと思います。

平成5年以来、学会が授与する日寛上人御書写の御本尊は、現在の会則にある「創価学会が受持の対象として認定した御本尊」にほかなりません。

波田地グループは、今まで拝んできた、この御本尊を捨てて、保田妙本寺の本尊を受けるのをよしとするのでしょうか。

あるいは、ほかに「金原が認定した本尊」でもあるのでしょうか。

はてさて、波田地グループのメンバーは現在、それぞれ、どのような本尊を根本尊敬の対象として拝しているのか、一度、訊いてみたいものです。