波田地克利と酒
「波田地克利といえば酒」であり「波田地グループといえば酒」──7月に行われた集会でも、波田地らは昼間から飲んだくれていたようです。
何も“飲み会”の類いまで十把一絡げにケチをつけようなどという狭い了見ではありません。
しかし、です。
ここでは「波田地と酒」、そして「波田地グループと酒」について、その一端を垣間見てみたいと思います。
缶チューハイをあおりながら“講義”
例えば、協議会で地区部長が、おもむろにウイスキーを取り出してあおり、その勢いにまかせて活動の打ち出しに文句を言い始めたら、どう思われますか?
例えば、座談会で担当幹部が、いきなり缶チューハイをプシュッと開け、かっくらいながら指導を始めたら、どう思われますか?
グループの集会において“中心者”あるいは“講師”である波田地がやっている行為は、これと同じことです。
あるグループメンバーが主催して、小規模の集会を開いた折のこと。
波田地が来るとあって、そのグループメンバーは格好いいところを見せようと張り切り、“素晴らしい人が来るから”“めったに聞けない話が聞けるから”と触れ回って、知り合いの学会員10人ほどを地域の個人会館に集めたそうです。
皆、訳も分からぬまま、おそらく教学か何かの勉強会なのだろうというぐらいに思い、来ていました。
ところが、会場に入ってきた“講師”の波田地は、まだ真っ昼間だというのに、自前で買い込んできた“ストロング系”の缶チューハイを自然な勢いで開け、それをグビグビと流し込みながら、週刊誌の記事をコピーした束を参加者に配り、あれよという間に解説し始めたのです。
片手に缶チューハイ、片手に週刊誌の記事を握ってのぼせ上がり、本部や幹部に対する根も葉もない中傷をまくし立てながら、“先生は”“学会は”と壮士気取りでわめく波田地。
しかも、この個人会館は、地元の人々にとっては地域広布の原点ともいうべき、由緒ある会場でした。
これが自称「真の池田門下」とやらなのですから、お里が知れるというものでしょう。
連れてこられた人々の中で、波田地に同調する者など一人としていなかったことは、いうまでもありません。
ほかにも、このような事例は数え上げたらきりがありません。
起き抜けから500mlの缶チューハイを飲み始め、朝となく、昼となく、夜となく、飲んだくれている波田地は、“講義”であろうがおかまいなし。
“これいいね”などと、したり顔で缶チューハイやハイボールをあおり続けるのが常といいます。
“あんな飲んべえオヤジに、講義なんかする資格あるのか?”とグループから離れていったメンバーもいるようです。
「ご隠居がグイグイいくから」
しかし、波田地グループに今なお残っているメンバーは、酒の面においても波田地から強い感化を受けています。
集会で“講義”をする予定だったメンバーの一人は、集会の冒頭、自己紹介で発言を振られると、「なんか、ストロングゼロ飲んで……」と早々に戦意喪失の様子。
司会者が「なに? できあがっちゃった? すみません。酔っぱらってます」と茶化すと、メンバーは「ご隠居(=波田地)がグイグイいくから」と言い訳していました。
また、波田地による“講義”の冒頭、グループの事務局的な存在である一人のメンバーが、こう参加者たちに促したこともありました。
「お酒ほしい方、こちらにありますんで」
“講師”が飲んでいるのですから、“受講者”も飲みたくもなるでしょう。
“ご隠居は飲んでたほうが調子が出るから”と囁かれるような状態ですから、波田地グループのメンバーたちの感覚は、すでに完全に蝕まれているといえます。
集会のスタート時から酔っぱらい
このような体たらくですから、波田地グループの集会は、もはや酒を飲むこと自体が目的と化しています。
とある波田地グループのメンバーは、まだ陽が高いにもかかわらず、集会の開催地に到着するなり言い出しました。
「よしっ、飲むかっ。この時間から飲まないと、ここに来た意味がない」
言い換えれば、「昼間から酒を飲んでこそ集会に来た意味がある」ということです。
また、波田地グループの集会にあっては、まず最初に、参加者一人一人による自己紹介や近況報告が行われるのが恒例となっていますが、この時点で、先ほどの「できあがっちゃった講師」のように、すでに何人かが酔っぱらっているのが通例です。
とある集会でも、ある参加者が「二日酔いと車酔いで、すみません。ダブル酔いです」と語り出せば、ある参加者は「酔っぱらってま〜す」とハイテンションで語り出します。
また、グループの中心メンバーの一人である石黒広信も、「はい。え〜っと、●●さんに実は近い人からの話ですと……。すいません……。あっ、大丈夫です」と、のっけから酩酊状態です。
他の参加者が「ゲロ、吐かないでよ」「しゃべったら、すぐ寝ていいから」と囃し立てているあたり、酔っているという事実そのものを咎める向きは、微塵も感じられません。
石黒は、ほかの集会でも、ある時には「もう結構、飲んでまして。もう酔っぱらってますけど」と語ったり、また、ある時には「こんにちは。石黒でございます。もう酔っぱらってます」と語っていました。
「酒は飲んでも呑まれるな」とは、よく言ったものです。
「セルビアで唱題会」の真裏で「日本で飲み会」
波田地グループの実態を知らないまま彼らの言っていることを鵜呑みにしているような人々が、このような有り様を知ったら、どう思うでしょうか。
セルビアグループの中心者である片野優が来日し、波田地グループの集会に参加した折のことです。
片野が言います。
「(セルビアの女性たちが)今日は唱題会ということで。1日頑張って題目あげると言っていますので」
波田地が「今は時差で何時?」と問うと、セルビアグループの後見人ともいうべき金原(きんばら)明彦が「朝の6時ですね」と即答。波田地は「朝の6時から唱題会やっているの?」と驚きます。
続けざま、片野が提案します。
「(セルビアのメンバーたちが)スカイプで皆さまのお顔を見たいとのことなんですけども。もし可能であったら、夜の9時ぐらいなんですけど」
これに対する波田地の一言で、座は爆笑の渦に包まれます。
「でも、唱題会始めたころ、皆、酒を飲み始めたくらい」
想像してみてください。
セルビアグループの大半は、女子部世代の女性たちです。
後日、片野に引き連れられて日本にも来ましたが、航空運賃だけでも10万〜20万円はかかるのではないでしょうか。
セルビアの平均収入は250ユーロ程度(約3万円)といいますから、その主義・主張はともかく、どれほどの思いであったかは想像するに余りあります。
それもひとえに、波田地が「片野教」と評するほどの閉鎖的・独善的な全体主義のなせるわざなのですが、そうした健気な女性たちが、遠く離れた東欧の地から、“同志”の無事を祈っているわけです。
ところが、嗚呼、悲しいかな。
セルビアのメンバーたちは、早朝から、酔っぱらいたちのために題目を送っていたのです。
この悲喜劇のようなシチュエーションを、平然とせせら笑える波田地たち。
その感覚が理解できません。
「規格外」ではなく「信心外」
「波田地グループ」とは何か、その本質は金原が言い当てているように思います。
ある時、金原が、いっときはグループに同調していたものの、ほどなく波田地に対して批判的になった人物を指して、くさしました。
「(集会で波田地らが)酒なんか飲んでる姿、見たら、許せるタイプ、人じゃないんですよ、あの人」
いやはや、「許せる人」のほうが圧倒的に少ないのではないでしょうか。
裏を返せば、「許せる人」の集まりこそが、「真の波田地グループ」ということです。
波田地が「まともなカラダには戻れない『規格外』の方々」と自称する通り、「信心」という規格から外れた「まとも」ではない者の集まりが、波田地グループだといえます。
そして、こうした波田地が吹聴するのは「誰それは飲み歩いている」といった風聞ばかりなのですから、やれやれ、どの口が言っているのやら、「物言えば唇寒し秋の風」といった心境は、波田地には無縁のようです。
これまでも退転・反逆の面々は、石田次男しかり、原島嵩しかり、揃いも揃って酒狂でした。
与えて言えば、そうでもしなければ、精神の均衡を保てなかったのかもしれません。
強烈な自己愛を持て余しながらも、懶惰懈怠なるがゆえに、学会活動で苦労なんかするよりも酒を食らい、遊戯雑談に明け暮れていたい。
とはいえ、そこに、やましさや後ろめたさなど皆無かといえば、自分の心には嘘をつけない。
だからこそ、“本部”やら“執行部”やら仮想敵をデッチ上げ、自分たちの不当な部分を投影して攻撃することで、本能的に自分を正当化しようとする。
それでも自分の本心を欺ききれず、酒によって麻痺させ、酒が酒を飲み、果ては酒が人を呑む。
もって、己の自己愛を、かろうじて満足させているにすぎません。
仏道修行としての信心は、能書きたらたらの酔生夢死とは対極にあるのです。