創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

やはりネガティブキャンペーンしかできなかった波田地グループ

2019年11月、波田地グループがYouTubeチャンネルを立ち上げ、動画を公開しました。

正直なところ、1年半も待ってこれかとガッカリでした。

その拍子抜け感は同時に、波田地グループの番頭格・金原(きんばら)明彦が内心では噛みしめているであろう忸怩たる思いと、表裏一体だったはずです。

その内容については、おいおい触れたいと思いますが、最も注目すべき点は、中身などではなく、むしろ「結局、波田地を出すしかなかった」という事実です。

そのゆえんを、1年半前から振り返ってみたいと思います。

波田地グループ」宣言

2018年の秋、波田地グループの中核メンバーが雁首を揃え、今後の方向性について謀議を巡らします。

「今、中途半端なところにあるから、なかなか皆さんも、消化不良を起こしているかもしれないんですけど」との金原のひと言には、近年、本部批判や幹部批判を繰り返すことで同調者を広げようとしてきた画策がジリ貧に陥っている現状、そして、グループとしての求心力を維持することへの危機感があふれていました。

そこで金原は、場転を図るべく、自身の構想を披露しました。

「来年の●●(=集会の開催地名)は、ビデオを撮ってやりますからね。YouTubeにバーッと流して」

「よく、ぼやかしているじゃん。テレビなんかで、オウムなんか、やる時に。あんな感じで。登壇者は、ばっちり映してやろうかと思って。で、波田地グループだっていうことを世間に見せてやろうと」

「こんな素晴らしいもの、どんどん公にしないから、コソコソやっているから、やられる。突かれるんですよ」

金原が「来年の●●」と言っているのは、毎夏、恒例で行っている波田地グループの大型集会で、メンバーやその家族らが一堂に会する最大の年中行事です。

自らの口で、自分たちのグループを明確に波田地グループ」と称した金原。金原にとって「2019年夏の集会映像」は、世の中に対して「波田地グループ」の存在を高らかに宣する“秘密兵器”となるはずでした。

金原明彦の「悲願」

なぜ金原は、集会の模様を収録した映像を撮影・公開しようと思い立ったのでしょうか。

年が明けた4月、金原はグループのメンバーたちを前に、その意図を明かします。

「要するに、何をしてるのかを、もう、見ていただこうと」

「とにかく、僕としては、そういうものを、しっかり撮って、要するに、波田地グループっていうのは、何やってるのか。もう、『悪い連中なんだ』と、『学会に反逆をして』というのを、真に受けてる人ばかりなので、『いや、これ見てよ』って言えるものを作りたいんです」

「タイトルは“これが波田地グループの実態だ”とか書いてさ、見てみたら、『いいじゃない、これ』みたいな」

「集大成として、残したいなっていう悲願があるんです」

“悲願”とは、これまた大げさですが、金原が抱くコンセプトは「波田地グループのプロモーションビデオ」に近いものだったのではないでしょうか。

「ネガティブなことばかりやってても」

そして、“波田地グループPV”にも反映される波田地グループのテーマとして、金原の設定したキーワードが「自活」でした。

金原は波田地グループの在りようを総括します。

「愚癡が……。“訪ねてくる人もなくなったし”とか、“組織の……”とか。もう、いいじゃないですか」

金原の訴えは、波田地グループの集会が愚癡の吐き捨て場のようになっている実態を如実に表しています。

そして金原は「ネガティブなことばかりやってても人ついてこない」と結論し、お得意の大風呂敷を広げます。

「もう自活の時代、組織活動の時代から自活」

「自活の時代に入ったんだという自覚でね、進めていったほうが、健全だし、心も広くなる」

「自活。その、まあ、使命と感じてやるかどうか知らないですけど、やりたいことでいいと思うんです、好きなことで。それをベースにした自活っていうものを模索しながら、一人一人がね、”私はこんな自活をやります”っていうような時代になっていったらいいと思うんです」

「(夏の集会で)自活時代のスタートだということを切って。また、籠(ろう=石黒広信のハンドルネーム)さんなんかが、そういうものを編集して、『自活の活動報告』みたいな。“私、こんな自活してます”とか、“私、隣のA子さんと仲良しで、何回も会うけど、創価学会が最近つまんないので、自分たちで自活座談会やってきました。こんな盛り上がりました”とか。そんなのドンドン載せて」

「そこでは、ネガティブキャンペーン、一切やらずに、ポジティブな話ばっかりで、こう、やっていくような、そういう、そろそろ作らないといけないなという感じがしますので、ぜひ、夏は、そういう協力をお願いをしたいと思います」

このように息巻いていた金原の思いとは裏腹に、公開された映像は「ポジティブな話」など一つもない、波田地によるネガティブキャンペーン一辺倒の独演会でした。あれで金原の「悲願」とやらは成就したのでしょうか。

今さら言うまでもないことですが、“波田地グループの信仰”に歓喜や希望など微塵もなく、そこにあるのは愚癡や文句ばかりであることが、この一事からも明らかとなりました。

金原らは今も、メンバーたちから資金を集め、コソコソと企んでいるようですが、徒労に終わるのは火を見るよりも明らかでしょう。

問題は、小手先の方法論ではなく、愚癡や文句たらたらで学会の組織にはいられなくなった「ネガティブな人間」の吹きだまりという、波田地グループの体質そのものに起因しているのですから。

次稿では、金原の言う「自活」について、その内実を追います。