創価学会員として生きていく

波田地克利を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

野原善正氏の支援に躍った波田地グループ

正邪を厳しく峻別する信仰の世界とは異なり、現実の社会生活、特に政治の世界では、自分たちの主張を実現していくために、他の政党・政治家にも理解を広げ、協力しあっていく必要があります。

時に、互いの主張を幾分かずつでも譲り合う歩み寄りや、相違点を包み込む度量が求められるでしょう。

だからこそ公明党創立者である池田大作名誉会長は、すでに公明党の前身・公明会の時代から、“政治の世界における具体的な対応については、支援団体である学会は一線を画し、すべて党に任せていく”という原則を明確にされてきました。

その意味からすれば、昨年(2019年)7月の参院選に立候補し、学会執行部に対する選挙を悪用してのネガティブキャンペーンを企んできた野原善正氏や、それを支援した波田地克利のグループは、学会が支援活動に取り組む精神とは対極にある、極めて特異な事例だったといえます。

波田地グループの“決起集会”

野原氏は昨年7月に行われた参議院議員選挙・東京選挙区において、「れいわ新選組」から立候補しました。

「沖縄創価学会壮年部」とデカデカうたった掲示板ポスターに、何事ならんと奇異な印象を抱いた方も多かったのではないでしょうか。

この野原氏にとって、その規模はささやかながらも応援団に数えられる存在の一つが、波田地グループだったといえるでしょう。

公示後の7月6日から7日にかけて行われた波田地グループの集会で、メンバーたちは、自らの“支援活動”について我も我もと報告しあい、さながら自慢大会の様相を呈していました。

西日本における事務局的な役割を担っている大阪のSは、れいわ支援の流れをつくるにあたって、裏で、とりわけ深く関与していた人物です。

彼は「選挙活動、頑張らしていただきます」と問わず語りに決意表明すると共に、れいわ新選組のポスターを張りだし、選挙ハガキも50枚申し込んで、“全部、男子部に送ってやる”と息巻いていました。

一方、東日本における事務局・石黒広信の妻も、野原氏が立つ東京都内の在住だけに負けじと、「第一声も行ってきまして、野原さんの、本当にもう熱い思いで、涙がダッと出て」「そういう思いがもう、野原さん、本当に応援したい」と語りながら、チラシを200枚もらえるよう頼んだと明かし、「やっぱ、祈って、本当に語れる人には語っていこうかなと思います」と鼻息を荒げました。

さらに、最近は仕事のほうが大変なのかメッキリ姿が見られませんが、この時には夫婦で参加していた、学生時代から波田地と繋がりのある武谷勝法が、れいわ新選組の街頭演説を聴きに行ってきたと報告すると、妻のひろみも「(山本)太郎さんと野原さんのお話聞いて、涙がもう、とめどもなく流れてきてしまって、本当に、その応援ハガキを私、今まで何も友達にも言ってないんですけど、しっかりと送りつけて、自分が除名になったこととか、公明党はダメだと、れいわにしろっていう話をしていきたいなと決意しております」と、対抗心むき出しで吹いていました。

ほかにも、

「野原さんの出現とか、本当に潮の変化というか、変わり目が今、来てるんじゃないかなって気がしております」(埼玉のH)

「今日は沖縄の連帯の意味、沖縄に連帯するっていうことと、あと、れいわ新選組の野原さんを応援するっていう意味で、アメリカが最も恐れた男・瀬長亀次郎のTシャツを、不屈っていうTシャツを着てまいりました」共産党員でもある静岡のK)

──等々、発言を促されたメンバーたちは、まるで踏み絵のように、野原氏を礼賛していきます。

皆が皆、あたかも野原氏が、学会執行部を打倒し、不遇をかこつ自分たちを解放してくれる救世のヒーローであるかのような、あまりにも短絡的な高揚感にのぼせていました。

このような集会を波田地は、こう総括します。

「本当に絶妙なタイミングで、この参院選の公示直後に(略)オフ会が行えたのも非常に意味があるんじゃないかと思います」

波田地にとって2019年7月のグループ集会は、“野原必勝”を期す決起集会だったわけです。

“野原劇場”の誤算

野原氏の出馬は、7月4日の公示を目前にした2日に発表の会見が行われ、しかも、当初は比例区での立候補だったところが、3日になって東京選挙区に変更というドタバタ劇でした。

同じく東京選挙区から立候補する公明党の山口代表にぶつけることでマスコミ受けしそうな構図をつくり、あわよくば公明票を切り崩したい──そんな劇場効果を狙ったのでしょう。

ところがフタを開けてみれば、言わずもがな野原氏は落選、山口代表は前回参院選よりも多く得票する結果となりました。

それは野原氏自身が、山口那津男さん(公明党代表)の票もそんなに切り崩せなかった」琉球新報)と敗戦の弁で語っていた通りです。

野原氏の目論見は、もろくも潰え去りました。

それも当然の成り行きでしょう。

そもそも野原氏という人物、詳細は他日に譲りますが、学会の組織内で非常識なスタンドプレーを繰り返し、それを注意されるや逆恨みして組織から遠ざかって以来、今日まで10年以上にわたり学会の活動には参加してこなかった人物だといいます。

そのような野原氏が訳知り顔で「創価変革」などと言っても、説得力などあろうはずもありません。

野原氏は最近も、参院選を振り返って、こう述懐していました。

「これでやっぱり、学会のおかしさ、公明党のおかしさ、風穴があいたわけですから」

「全国の方々が、一般の方々が分からないことを、知らしめることができた」

まさしく“選挙を悪用したネガティブキャンペーン”だったと白状しているのです。

わずか1年での手のひら返し

早いもので、あれから1年、野原氏をめぐる波田地グループの熱は、今もなお保たれているのでしょうか。

先日、夏恒例の集会がオンラインで開催されました。

集会では、希望する参加者全員に発言の機会が与えられ、おのおの自己紹介や近況報告などを行いましたが、発言者からは、れいわの「れ」の字もありませんでした。

1週間前に東京都知事選があったばかりだったことを考えれば、その冷め具合は異常なほどです。

その中で唯一、かねてから野原氏と個人的な繋がりの深いメンバーが、こう切り出しました。

“野原氏の後援会長から「波田地さん、金原さんに、ぜひお会いしたい」という伝言を預かっている”

すると波田地は答えました。

「野原さんは『波田地とは付き合いたくない』って言ってるらしい。『金原、波田地とは付き合わない』って」

わずか1年で、ずいぶんな変わりようです。

しかも、その後、状況はさらに二転三転しているようです。

そのあたりの経過も含め、波田地や野原氏の“肚”を、次稿では探りたいと思います。