創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

自称“被害者”・野原善正氏の言い分を無責任に垂れ流す創価学会元職員3名ら福岡グループ(福岡大祐、小平秀一、滝川清志、野口裕介)

2回にわたり野原善正氏と波田地グループとの関係について振り返りましたが、そもそも野原氏が学会批判の前面に出るきっかけとなったのは、福岡大祐と“創価学会元職員”を売りものにする3人、小平秀一、滝川清志、野口裕介らのグループ(福岡グループ)との関わりでした。

野原氏との関わり方を見ると、福岡グループの性質がよく分かりますので、事のついでに概観してみたいと思います。

福岡グループの集会でデビュー

10年以上にわたり学会の組織から遠ざかっていた野原氏が、突如として浮上してきたのは、2017年5月のことでした。

小平秀一、滝川清志、野口裕介らが沖縄・那覇市で集会を開いた際、地元・沖縄から参加したのが野原氏でした。

野原氏は、鹿児島県のHから岡山県のIを紹介され、そのIから3人を紹介されたといいます。

集会で野原氏は、およそ15分間にわたり、後述する沖縄の除名者をめぐる経緯について我田引水の自説をぶち、まるで自分が“被害者”であるかのように言いくるめつつ、学会執行部や沖縄の幹部への批判を展開しました。

これが除名者グループとの共同歩調では、野原氏のデビューだったといえます。

野原氏の「メッセージ」

その後、前稿でもご紹介した通り、翌2018年の沖縄県知事選に便乗して、集会で三色旗を振るという売名パフォーマンスで、世間から一時的な注目を集めることに成功した野原氏は、11月、京都で行われた福岡グループの集会に「メッセージ」なるものを寄せました。

メッセージで野原氏は、「何はともあれ、創価変革のための反転攻勢の狼煙が沖縄から上がりました。この勢いを全国に広げていく闘いが我々の双肩にかかっています」と、まるで“君たちも俺に続け”と言わんばかりに檄を飛ばします。

そして、最後に「3首の和歌を献呈」までしています。

「広宣の/熱き情熱/湧き出ずる/虚偽を下して/賢く叫ばん」

「いびつなる/邪悪を見るは/我が使命/創価の父の/薫陶仰ぎて」

「妙法の/広布のために/師子吼せん/闇を晴らして/真実示さん」

よく意味は分かりませんが、人生最高潮の“モテ期”に舞い上がっていたであろう野原氏の増長ぶりが伺い知れますし、なるほど、この自己陶酔感は、福岡大祐、小平秀一、滝川清志、野口裕介らのグループを支配する世界観とも波長が合うだろうと頷けます。

野原氏の素性

このように野原氏と因縁浅からぬ間柄の福岡グループは、野原氏が沖縄集会で話した言い分を丸呑みして、あたかも野原氏が“被害者”であるかのように自分たちのブログに掲載しています。

しかし、実際のところは、どうだったのでしょうか。

これは地元・沖縄では有名な話だそうですが、2000年ごろ沖縄で、ある人物が中心となって、極めて非常識な“ローラー折伏”なる問題行動が繰り返されていたといいます。

そこに加わっていた一人が野原氏でした。

彼らの常軌を逸した行動に対して、地域広布に汗を流してきた各地の会員から、多くの苦情が寄せられたため、幹部は、そうした声を伝えつつ、この人物や野原氏らを注意しました。

すると、この人物は逆上し、様々な会合や会議に乱入しては騒ぎ立てるなどの行為を再三にわたって行ったことなどから、2003年に会員除名処分となったそうです。

この時も野原氏は、この人物と連携し、終始、行動を共にしていましたが、野原氏に反省の意が見られたことから、処分されるには及ばなかったようです。

その後、この除名者は、処分を受けた後の2004年、学会幹部の自宅に押しかけた上、暴行事件を引き起こしました。

ここではあえて、その後の顛末には触れませんが、ともあれ、この際も野原氏は、除名者と共に執拗な電話やファクスで学会幹部に対して面談を強要し、暴行事件の現場にも除名者に同行していたそうです。

こうした経緯があるにもかかわらず、野原氏の話す内容を丸々事実であるかのようにブログに掲載し、学会執行部を批判する“材料”に利用した福岡グループの責任は、重大であると言うべきです。

福岡グループへの非難

一方で、野原氏が参院選で散った後の2019年11月、横浜で行った集会では参加者から、福岡グループの対応に非難の声が上がりました。

要約すると、“野原氏が選挙に出た。福岡グループの皆さんは、経営するケーキ屋が大変だったと思う。けれども、手分けをして、誰かがブログ上で、野原氏を応援する発信をしてあげるべきだったのではないか。野原氏は沖縄集会にも来てくれたのだし、知り合いだったのだから”という意見でした。

確かに福岡グループは、選挙期間中、野原氏が信濃町で行った街頭演説に数名がアリバイづくりのように参加しただけでした。

そうやってコソコソ動くわりには、ブログ上ではダンマリを決め込んだ福岡グループ──何らかの打算が働いたのでしょうが、片や、一方的で都合よくねじ曲げられた話を無責任に撒き散らしておきながら、あまりにも小狡い態度です。

一事が万事、福岡グループをめぐっては、同じような事例が散見されます。

次稿では、その象徴的なケースを取り上げてみたいと思います。