創価学会員として生きていく

波田地克利や金原明彦を中心とするグループ、創価学会元職員3名ら福岡大祐のグループ、宮川日護(雄法)らの本性をあぶり出し、反面教師としながら、創価学会員として生きていくべき道を追求します。

波田地克利にとっての創価同窓

有田芳生参議院議員や二見伸明にすり寄ろうと画策している波田地克利のグループ。

波田地にとっては所詮、創価大学の学生時代か教宣関係のつながりしか、気の置けぬ間柄はないようです。

二見とのパイプ役は、創価大学時代からつながりのある、しかし、波田地グループの古参からしてみれば“ぽっと出”の武谷勝法なる人物でした。

二見伸明をヨイショする武谷

武谷は2018年、妻・ひろみと共にシンガポール創価学会から除名された人物です。

夫婦とも創価大学の15期生で、これまで波田地グループの集会に何度か参加しています。

武谷によって、数人の15期生が波田地グループに引き込まれているようです。

さて、2018年9月に行われた沖縄県知事選のさなか、革新系候補者の陣営で三色旗を振り、公明党を批判していた人物がいましたが、二見は“あれは自分の仕掛けだった”と盛んに吹いているそうです。

情報によれば、東京で二見と会った武谷は、二見に対して、“学会員から、こんな反響があった。あんな声があった”とヨイショし、二見は大喜びだったといいます。

二見は武谷に対して、“自分は共産党の志位委員長などとやりとりしている”と自慢していたようですが、そのような二見を前にしてのぼせ上がり、せっせと媚びを売っているのですから、武谷という人物の底が知れます。

有田議員をありがたがる武谷

また、有田芳生議員を社団法人主催の講演会に講師として呼ぶ案(詳しくはこちら)があることについては、先述した通りです。

有田議員はTwitterで、沖縄県知事選における公明党の政治的態度を、池田大作創価学会名誉会長の著述を援用して「『師敵対』という大反逆行為」と言ってのけました。

あまりに滑稽な“門外漢の余計なお世話”ですが、これに対しても武谷は、そのような有田議員だからこそ呼んで話を聞いたほうがいい、と主張しているといいます。

しかしながら、有田議員は、学会をネタにした与太話専門のブラックジャーナリスト・乙骨正生とも、かねてから昵懇の仲で、乙骨によるミニコミ誌『フォーラム21』にも寄稿する人物です。

そのような人物が言う「師敵対」を真に受けて、ありがたがっている武谷なる男。

いかにもチープです。

いまだに学生気分のまま

このような武谷が、波田地には“頼り”のようです。

彼らが「プチオープン型」と称する座談会をめぐって、中国方面での立ち上げが話題になった際、波田地は「カンピース」なるハンドルネームの人物を名指しして、「カンピースよりも武谷」と明言したといいます。

ちなみに波田地、すでにグループのメンバーには、「宿坊の掲示板」の常連ハンドルネーム「セブンスター」=「カンピース」=Twitterの「七ツ星」=広島県三原市のAさん、というところまで暴露しているようです。

この件については、また後日、触れたいと思います。

それはともかく、なぜ波田地は、武谷をグループの渉外役に使うほどに、武谷に信頼を置いているのでしょうか。

武谷は波田地と同郷・山口県下関市の出身です。

創価大学の15期生だった武谷は、学生時代、7期生だった波田地から“講義”を受けていました。

よく波田地の家を訪れては、正信会関係の資料や週刊誌のコピーなどが山積みになった部屋で、真っ白のブリーフ1枚で扇子をあおぐ波田地と語りあっていたといいます。

波田地グループの集会に、妻を連れ歩く夫・勝法。

集会に参加すれば「波田地さん、波田地さん」と持ち上げる妻・ひろみ。

武谷夫婦は、その本質は「波田地門下」なのです。

社団法人を立ち上げることで武谷は、波田地を、そこの専従にしようとしているようですが、波田地にとって、これほど居心地のよい場所はないでしょう。

昼間から缶チューハイをかっ食らいながら好き勝手に放言し、そうしていれば、あくせく働かなくても生きていける。

それどころか、わざわざ社団法人まで立ち上げて、自分を食わそうとまでしてくれているのですから。

要するに彼らは、いまだに学生気分のまま。

彼らが語る“師弟”なるものも、自己陶酔に溺れるための“つまみ”にすぎないのです。